キリスト教入門の四類型 –– キリスト教入門のゆくえ(その1)
岡本 亮輔 『キリスト教入門の系譜』より

Reading Journal 2nd

『キリスト教入門の系譜』 岡本 亮輔 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

終章 キリスト教入門のゆくえ (その1)

今日から「終章 キリスト教のゆくえ」に入る。いままで、数々のキリスト教入門について、その著者の人生を追いながら解説されてきた。終章では、今まで読み解いてきた内容についてのまとめが書かれている。

今日のところは、キリスト教入門書の四類型である。それでは、読み始めよう。

入門書の四類型

日本のクリスチャンは超少数派である。しかし、キリスト教の受容と伝播の歴史を丹念にたどると、単なる宗教的少数者の物語に収まらない、豊かな広がりが見えてきた。(抜粋)

本書では、信仰書に留まらず、社会文化・文学・自然科学・哲学思想といった領域まで踏み込み入門の系譜をたどった。そこには、入門という営みの幅広さ、奥行きの広さであった。

まず、本章では、入門書の四つの類型を提示し、その特徴や機能を検討し、二〇〇〇年代以降の著作にも触れていく。

信仰・伝達系

信仰・伝統系は、正統的は類型である。著者は、伝道者や聖職者であり、信仰体験や聖書理解に基づき信仰への導くのが目的である。

日本キリスト教は、家や共同体を重視する伝統的な価値観と軋轢が生じる。そのため、キリスト教への入信や改宗には、抵抗感や違和感が生じる。そのため、こうした信仰・伝達系の入門書は、魂の救いの契機となり、自己変容の手がかりとなる。

信仰・伝達系を代表するのが内村鑑三(その1、その2)の『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』である。ここでは、内村の回心まで足取りが語られ、やがてそれは内村の無教会主義にたどり着く。そして岩下壮一や戸塚文卿も信仰・伝達系に含まれる。さらに、三浦綾子の作品もこの分類となる。

信仰・伝達系の入門書は、神との出会いや信仰による自己変革という根源的な問いを読者につきつける。そしてクリスチャンが圧倒的に少ない日本では、こうした書物は一種の異端宣言としてラディカルな力を帯びる。著者たちは、信じていないマジョリティにいかに働きかけうるかという課題と向き合ってきた。その葛藤こそが、このタイプの書物に独自の切実さと輝きを与えている。(抜粋)

人生論系

人生論系の入門書は、入信や改宗を直接促すのではなく、キリスト教の世界観や倫理感を、より善く生きるための知恵や助言として提示するものである。

この流れの源流に位置するのは、江原小弥太の『新約』である。また、賀川豊彦の作品も、読まれ方としては人生論系に属する。賀川の著作は信仰・伝道系と重なりつつ、苦しむ人間のリアルな声に応じる実践性を持ち、その意味で人生系の代表格と言える。

遠藤周作や井上洋治も信仰と現実の間で揺れ動く真情を捉え、日本と西洋の違いやカトリックの祈りや儀式の意味などを問い直し、日本人の宗教的感性という主題を探求した。

この人生論系で圧倒的支持を得たのが、渡辺和子である。彼女は自身の波乱に満ちた人生を、キリスト教の信仰を核とした、柔らかい語り口と生活に根差した知恵として提示した。

人生論系の入門書は、信仰告白や伝道という目的から一定の距離をとりながらも、個人の実践的課題に寄り添い、キリスト教的視座からの道しるべを提示する。宗教的色彩を抑えつつも、悩み、迷い、立ち止まる全ての人に開かれた入口として、その約有を果たしてきたのである。(抜粋)

知識・教養系

知識・教養系は、キリスト教を異文化理解や国際的教養の一環として学びたいという読者層に向けて書かれている。国際社会では、キリスト教の知識が基礎的素養として必要であるため、このような知識が求められる。著者は、学者やジャーナリストが多く、論理的・批評的な観点から知識を提供する。

この類型では、戦後のキリスト教ブームの時に登場しキリスト教への近づき方を指南した黒崎幸吉の『聖書の読み方』などがある。そして、この系統を知的に引き上げたのが、南原茂と矢内原忠雄である。ともに東大総長であった二人は、キリスト教を個人的信仰の枠に留めず、国家・教育・政治・倫理といった公共の問題に結び付けた。そして、このジャンルを確立したのが山本七平と小室直樹である。二人は、キリスト教を足場に日本社会を論じ、独特の比較文化論的視座を切り拓いた。

エンタメ系

エンタメ系は、信仰や知識の獲得を目的とせず、読者の驚きや好奇心を引き出すことを目的として書かれたものである。そのため本書に登場する著者の中には、エンタメ系の書き手と位置付ける者はいない。

しかし、現在では、内村鑑三や遠藤周作、三浦綾子も、現代の読者の多くは、キリスト教を背景に押しやり、明治の秀才の青春譚、殉教者の物語や不治の病と純愛物語と受け取る。これは、これらの入門書が読み手によって一種のエンタメ化する現象と捉えられる。

このエンタメ系は、書籍だけでなく、テレビ番組やウェブメディア、小説、漫画、YouTubeなどでも発信され、人々を自然に宗教文化へと誘っている。

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