南原繁と矢内原忠雄 – 聖書はファンタジーなのか(その1)
岡本 亮輔 『キリスト教入門の系譜』より

Reading Journal 2nd

『キリスト教入門の系譜』 岡本 亮輔 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

第3章 聖書はファンタジーなのか ―― 学問と信仰のシーソーゲーム(その1)

今日から「第3章 聖書はファンタジーなのか」に入る。第3章では宗教の教義と学問のぶつかりをテーマとしている。ここでは、ともに内村鑑三の弟子であった東大総長の南原繁なんばらしげる矢内原やないはら忠雄、牧師でありながらマルクス主義に傾倒した赤岩栄あかいわさかえ、信じたいのに信じきれないと言った作家の椎名麟三しいなりんぞう、そして日本教論をとなえた山本七平小室直樹が取り上げられている。

今日のところ“その1”は南原繁と矢内原忠雄の学問と信仰である。それでは、読み始めよう。


宗教の神話や教義は、近代的な学問や教育とはしばしば矛盾する。とりわけ戦後、科学や合理主義が急速に浸透し、信仰は非合理や感情的慰めとして軽視される風潮が強まった。しかし、本当に学問と信仰は対立するだけなのか。本章では、学問と信仰の緊張関係のもとで生まれた入門書を読み直す。(抜粋)

東大総長たちの戦中戦後 — 南原繁と矢内原忠雄

南原茂の生涯とその入門書

南原茂は、第一高等学校から東京帝国大学法科に進学し、新渡戸・内村コースを歩む。卒業後は内務省勤務を経て母校に戻った。戦時中も同僚らが弾圧されるなか当局の目を逃れる。そして、敗戦から四ヵ月後に最後の東京帝国大学総長となり、つづいて新制東京大学の初代総長となった。彼の仕事は大学運営だけでなく、貴族院議員に勅選され、新憲法の起草にも関与し、教育刷新委員会会長として日本の教育制度の設計参画した。

南原の主著に『国家と宗教』があるがこれは入門書と呼ぶには難解である。入門書としては、『祖国をおこすもの』『青年はどう生きるべきか』『若い世代への証言』などがある。著者はここで入門書のひとつである『日本の理想』を取り挙げている。

一九六〇年代、世界は核兵器と冷戦に翻弄され、ヨーロッパではキリスト教の衰退が顕著になった。バートランド・ラッセル『宗教は必要か』という本で宗教批判を展開していた。このような風潮の中、南原は『日本の理想』のなかで「宗教は不必要か」という文章で反論した。

南原とキリスト教

南原は、「宗教は不必要か」で、自身の回心を語っている。仏教的雰囲気が濃い讃岐で儒学を学んだ南原は、東京で新渡戸稲造、内村鑑三に出会う。そして、新渡戸稲造からは自身の内面に向き合うことを教わり、内村の影響により「聖書こそ書物の中の書物だ」という確信を得て、「第二の誕生」ともいうべき体験をする。

戦後、知識人であるほど理性的で、宗教からも自由でなければならない、という風潮が広がった。だが南原にとって、信仰と学問は次元を異にする --- 科学が放った批判の矢は、宗教には届かないのである。(抜粋)

南原は政治学者として宗教がすべてを包含するわけではないことを認めるが、たとえば絶対平和の理念にしても、憲法や法だけは実現せず、一人ひとりが神の前に責任を感じ、個々の信仰による裏付けを得て始めて可能となると考える。

信仰とは、善と正義に向かう各人の決断だ -- 個人の意思や思考をひときわ重視し、ある意味信用し過ぎにも見えるが、これが南原の姿勢だ。(抜粋)

このような信仰にどのように至るかについて、南原は宗教を教えることはないし教えてはいけないと語っている。信仰は各人が人生の中で問い続け、たぐり寄せていく究極の根拠であるため、教師は、それを大切にし「空白のまま」に残しておいてもらいたいと主張している。

クリスチャンの南原があえて「空白」という表現で宗教的中立を表明した点は評価されるべきだろう。南原は、無教会流の徹底した個人主義に立ち、信仰か学問か、信仰か政治かという、二項対立を克服しようとしたのである。(抜粋)

矢内原忠雄の生涯とその入門書

南原の後任として戦後二代目の東大総長に就いたのが矢内原やないはら忠雄であった。彼も一高で新渡戸稲造に感化され、やがて内村に入門した一人である。一高では、芥川龍之介、倉田百三などの才人が同級生にいるなか、英法学科を首席で卒業し、東京帝大に進学した。

順調に見える矢内原の学生生活であるが、彼は二〇歳で母と父を次々と無くしている。そして、そして父の死後、内村鑑三に「キリストを知らずに死んだ父はどうなるんでしょうか」と尋ねた。内村は「おれにも、わからんよ」と言って黙ってしまった。そして「信仰生活を続けていればそのうち解決するかもしれない」と言葉を継いだ。

大学を卒業した後、矢内原は、同級生が官界や学界へ進む中、住友総本店に就職した。そこでは、上司にも恵まれたが、同僚たちはクリスチャンの矢内原をからかい、質問攻めにする。それに応えるために、『基督者の信仰』という入門書を書き始めた。そしてその原稿がまとまるころ、国際連盟の仕事で転出する新渡戸稲造の後任として、東京帝国大学に迎えられた。

東京帝国大学に就任すると早々に二年間の欧州留学に旅立つ。欧州では、文献収集魅励む傍ら、キリスト教ゆかりの地をめぐった。そし帰国すると帝大聖書研究会を創設の創設など研究・教育の傍ら、伝道にも力を入れた

しかし、満州事変以降日本は戦争の時代に突入し、言論統制が強化される。何人かの学者が罷免などの憂き目にあい、多くの学者が転向を余儀なくされるなか、矢内原は、新年を曲げなかった。彼は『中央公論』に掲載された「国家の理想」で日中戦争を非難し、削除処分を受けた。その後内村門下の親友故・藤井武を記念した講演を行い、日本の再生のため一先ひとまずこの国を葬ってください」と結んだ。このような言動が批判され、「矢内原事件」が起こる。彼は内務省、文部省の圧力や右派の教授たちの攻撃にさらされ、辞任に追い込まれる。

辞任した後、矢内原は師の内村鑑三と同じく、個人雑誌『嘉信』を創刊して自宅に集まった若者に、土曜日に西洋古典、日曜日に聖書を講義した。また内村に学んだ岩波茂雄が創刊したばかりの岩波新書に執筆しその印税が生活の支えとなる。

そして、戦後になり母校から復帰要請がくる。その後、経済学部長・教養学部長を経て、南原の後任として東大総長となった。

矢内原とキリスト教

信仰と学問の問題は、一信者に留まった南原より、伝道者でもあった矢内原において尖鋭化する。(抜粋)

矢内原の『キリスト教入門』では、その冒頭で宗教不要論や宗教批判への反論に紙面が割かれている。矢内原は、

科学的理性などたかが知れており、科学者も人生と真理の前には謙虚になるべきである。だからこそ、奇跡を含めて丸ごと聖書を受け入れなければならないと説く。(抜粋)

また、他宗教にも寛容ではなく、宗教は無数にあるが、目指す真理は同じであるという、穏健な立場とは相いれず、人が神を選ぶのではなく神が人を選ぶのであるとし、神に選ばれた人は、その絶対性を主張すべきであると説いている。

また、矢内原は、牧師の説教を聞いたり、無数にある解説書を読んだりすることを避けて、「聖書そのものを繰り返し読む」ことこそが大切であると主張する。わからなくても繰り返し読み、「わからせて頂くまで待つという態度」が大切であるという。

さらに矢内原は、内村鑑三から復活と再臨の思想も受け継ぎ、「復活と再臨も事実である」と強調した(内村鑑三の復活と再臨についてはココを参照)。

教会制度や礼拝に関する考え方は、南原と重なる部分もある。だが、南原が学問と信仰を切り分け、平和実現のための信仰を語ったのに対し、矢内原の信仰は、終末論的で切迫感を帯びている。矢内原は人間理性やその産物である学問を根本的に信用していない。だから、神が世界を根底から作り直す日を待ち望んだのである。(抜粋)

マルクス主義に対峙する矢内原

著者は、この南原と矢内原の信仰観の違いは、単に個性や性格の差だけでなく、社会情勢も影響していると指摘している。南原が総長だった時代は、日本はまだ占領下であったのに対し、矢内原が総長の時代は、すでに占領が終了し、マルクス主義が影響を強めた時代であった。南原が向き合ったGHQはキリスト教に好意的であったが、矢内原が対峙したマルクス主義は反キリスト教勢力である。

矢内原が学生時代に日本にマルクス主義が普及し始め、吉野作造の講義で『資本論』が取り上げられ、マルクス経済学の紹介者である河上肇かわかみはじめ『貧乏物語』がベストセラーになった。しかし、マルクス主義は、そのような社会科学としての側面だけでなく、社会変革を目指すイデオロギーとしての側面も持っていた。

このような二つの側面をもつマルクス主義は、政治学者や経済学者にはとって扱いづらいものであった。矢内原も社会科学の仮説・学説としてのマルクス主義に関しては、その意義を認めていた。しかし、マルクス主義が唯物史観によりすべてものを物質に還元して捉え、宗教を否定し、暴力も辞さない階級闘争を主張する点においては、全く同調できないと批判した。

矢内原は『マルクス主義とキリスト教』で、マルクス主義が単なる学説でなく、世界観を自任していることを批判する。

マルクス主義は、人間の知識は無限に増進し、科学が全てを解き明かすと主張する。そして科学で説明できないものは存在せず、だから、宗教は民衆をたぶらかすアヘンだと断じる。社会の発展を動的に捉える一学説の域を超え、神や霊を頭ごなしに否定し、神力ではなく人力で理想社会を実現しようとする。宗教に取ってかわる世界観を志向する傲慢さゆえに、矢内原はマルクス主義を受けつけないのである。(抜粋)

矢内原は、いくら共産党が勢力を伸ばしても迎合するなと呼びかける。そして、クリスチャンは慈善活動に目を向けたり、合理的な歴史観を取り入れる必要もないという。

キリスト教は、ただキリスト教であればよい。キリスト教は真理なのだから必ず勝つというのである。(抜粋)

関連図書:
南原繁(著)『国家と宗教 : ヨーロッパ精神史の研究』、岩波書店(岩波文庫)、2014年
矢内原忠雄(著)『キリスト教入門』、中央公論新社(中公文庫)、2012年
河上肇(著)『貧乏物語』、岩波書店(岩波文庫)、1965年
矢内原忠雄(著)『マルクス主義とキリスト教』、角川書店(角川文庫)、1956年

コメント

タイトルとURLをコピーしました