赤い牧師の逆回心 – 聖書はファンタジーなのか(その2)
岡本 亮輔 『キリスト教入門の系譜』より

Reading Journal 2nd

『キリスト教入門の系譜』 岡本 亮輔 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

第3章 聖書はファンタジーなのか ―― 学問と信仰のシーソーゲーム(その2)

今日のところは「第3章 聖書はファンタジーなのか」の“その2”である。ここでは、牧師の赤岩栄が取り上げられる。彼は、牧師の身で共産党への入党を宣言した。ここでは、彼の軌跡とその信仰、さらに彼への批判が取り上げられている。それでは読み始めよう

赤い牧師の逆回心 — 赤岩栄『キリスト教脱出記』

赤岩栄とキリスト教

赤岩栄あかいわさかえは、祖父の代から続くクリスチャンの家に生まれ育った。しかし、神主を兼ねる教師からいじめられ、その反発から、社会主義・共産主義に共感する。赤岩は、神戸神学校に入るも勉強に身が入らず、大阪神学院、東京神学社と渡り歩き、そこで高倉徳太郎に出逢った。

高倉は、近代の学問や合理主義に引きずられず、福音主義に根差す信仰を説いた。赤岩は、そこに、聖書にはフィクションにない迫力を見出すようになった。また二〇世紀の最大の神学者と称されるカール・バルトにも傾倒する。バルトは、考古学や文献学を駆使し聖書を史料として読む立場のリベラル神学を批判した。バルトは、歴史上のキリストを学問的に追及するリベラル神学に対して、神の主権と恵みを徹底的に強調して神の啓示に基づく神学を打ち立てた。

赤岩は、牧師になる覚悟を決め、渋谷区に上原教会を設立し、終生、その牧師を務めた

赤岩の共産党入党宣言と戦時下のキリスト教会

赤岩は、キリスト教を棄てて共産党に走ったのではない。あくまでも牧師のまま、共産党入党を表明した。(抜粋)

彼は、『キリスト教と共産主義』で、自らの決断の理由を明かしている。彼を共産主義に向かわせたのは、戦時下の日本の教会への不信感であった。

戦時下において、様々なプロテスタント教派は、大合同し日本基督教団(日基にっきが結成された。そして日基は、他の宗教団体と同様に戦争体制へ協力した。赤岩の上原教会も流れで日基に参加した。彼は、戦争には反対だったが、積極的には抵抗しなかった。

当局に睨まれれば教会は潰され、伝道できなくなる。そう自分に言い訳したが、やはり間違いだったと痛感する。こうした自己批判を経て、戦後、赤岩はマルクス主義に引き寄せられた。(抜粋)

赤岩は、ホームレスのいない社会を作る共産主義の実現こそが、イエスの説いた愛の実践であると考えた。赤岩は、聖書に基づく本当の信仰は、マルクス主義と一体であり、聖書を信じるならば矛盾なく共産党員として活動できると考えた。

この動きに対して、共産党側とキリスト教側の双方から批判がでた。共産党側からは、赤岩の入党宣言は伝道のための入党ではないか、そもそも無神論者の共産党員と強調できるかと疑念の声が上がった。日基側もマルクス主義とキリスト教は両立不可能と赤岩を除名が検討された。

全国に波紋を引き起こした入党宣言であったが、結局、赤岩は正式に共産党員になることもなく、日基から除名もされなかった。(抜粋)

赤岩の逆回心と「イエスのヒューマニズム」

赤岩は晩年『キリスト教脱出記』を執筆した。彼は、学術的なイエスの研究の成果をもとに聖書を読みなおすと、聖書の見え方が大きく変わった。そして、傾倒していたバルトの語る信仰のイエスから解き放たれる。彼は、歴史的イエスが何を語ったかを考えるうちに、復活も現実のものとは到底思えなくなった

赤岩いわく、回心の回心である「逆回心」が起きてしまった。(抜粋)

そして、キリスト教を脱出した赤岩が到達したのが「イエスのヒューマニズム」である。聖書からイエスが貧者や弱者に寄り添った事実は伝わってくる。イエスは、貧者や弱者の人間性を認め、共に生きることを望んだ。

現代は科学技術が進歩し、いつか人間は自ら作り出した電子予言機に支配される日がくる。そんな時代だからこそ、イエスが示した真に人間的な交わりに価値がある。互いに不完全であることを認め、愛し合える社会を作ろう --- 赤岩が生涯をかけて到達した結論である。(抜粋)

『キリスト教脱出記』の刊行により、日基でふたたび除名の動きが出てくる。しかし、刊行から二年後に、赤岩はこの世をさった。

赤岩の誠実さとキリスト教界のエリート意識

教会組織を批判した赤岩は、無教会主義と通じそうであるが、無教会主義の高橋三郎から批判を受けた。高橋は、キリスト教を矢内原に学んだエリートで、無教会主義三代目の中心人物であった。高橋は、権威を忌避した赤岩は、本当の師を持てず、理屈に走り、ついには自身の回心もキリストの再臨も幻想だという歪な信仰を築いてしまったと批判した。

著者は、この高橋の批判のとおり赤岩は、最後は何もかも否定して残ったのは抽象化されたキリストだけであったと、言っている。しかし、赤岩は、クリスチャンであり続け牧師であり続けた。そして、その理由として赤岩の傍流意識があると指摘している。

赤岩は、稀な三代目のクリスチャンであったが、所詮、地方の牧師の息子であり、無教会主義のリーダーのような、学歴などにも無縁であった。

そして、赤岩の没後、田川健三たがわけんぞうは、彼を批判しながらも擁護した。この田川自身、「神は存在しない」といい、「存在しない神に祈る」と言った型破りな聖書学者である。田川は、赤岩は西洋の学説を剽窃ひょうせつしただけで、自身思想を持ち合わせていなかったと批判するが、彼は「稀に見る誠実な人だった」と評価している。そして、剽窃の自覚すらない日基の幹部やキリスト教界の欺瞞を実践的に暴いたという点で、赤岩を誠実な先駆者であると評している。

明治以来、知識人を中心に広がったキリスト教は、間違いなくエリート意識と結びついてきた。超少数派であることは選民意識と表裏一体であり、「自分たちこそ神に選ばれ、真理の近くにいる」という感覚を伴った。赤岩は、そうした日本のクリスチャンに内在する傲慢さに、一見矛盾に満ちた人生をそのものをもって一石を投じたのである。(抜粋)

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