『キリスト教入門の系譜』 岡本 亮輔 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第4章 暁の星の司祭二人 ―― カトリック知識人の登場(その3)
今日のところは「第4章 暁の星の司祭二人」の“その3”である。前回の“その2”では、カトリックの司祭の岩下壮一について書かれていた。今日のところ“その3”は、戸塚文卿である。戸塚は医師として歩み出したが、留学先で出会った岩下壮一の影響で司祭への道へと進んだ。そして帰国後は司祭兼医師として医療福祉に尽力した。ここでは戸塚の回心物語を中心にその人生を追っている。それでは読み始めよう。
聖女を見た外科医 — 戸塚文卿
戸塚文卿の生立ち
戸塚文卿は、曾祖父が将軍家の侍医で、祖父も父も海軍軍医総監の家に生まれた。暁星中学を卒業し、一高、東京帝大医学科に学んだ。彼が信仰に目覚めたのは暁星中学の時であった。そして早く洗礼を受けたいと願ったが、父が難色を示す。卒業を外科医となり東大助手に任命される。そして、文部省の留学生に採用されるとともに北街道帝国大学助教授となった。ヨーロッパの地で、待っていたのが岩下壮一である。岩下は戸塚に司祭になるよう勧め、そしてロンドンの地で大転換を決意した。戸塚は北海道大学に辞表を送り、神学の勉強を始めた。そして、結局は、岩下よりも早く授階され、日本に帰国した。
戸塚文卿の回心物語:『戸塚神父の生涯:神に聴診器をあてた人』
帰国後、戸塚は司祭兼医師として医療福祉に尽力する。そしてカトリックを紹介する文章も書き始めた。しかし、著者は、彼のカトリック入門よりも、回心物語の方が興味深いとして、小田部胤明の『戸塚神父の生涯:神に聴診器をあてた人』を紹介している。
パリで再会した岩下は、戸塚にロンドンのアパートに誘う。そこでは寝たきりのヴァイオレットと彼女の世話を献身的に行っているローズという女性が共同生活を営んでいた。ヴァイオレットは発育不全で小学生くらいの体格しかなく、脊椎カリエスのため、体の麻痺が進んでいた。
ヴァイオレットは、裕福なユダヤ人の家に生まれカトリックの高校に進んだ。父はカトリックとの接近を禁じたが、彼女はカトリックの洗礼を受ける。その後、脊髄カリエスを発症する。その頃彼女の霊性が次第に知られ、協会幹部たちも彼女の病床を訪れるようになる。このヴァイオレットの聖痕を見たという証言もある。聖痕とは、キリストが釘を打たれたのと同じ個所に傷跡が現れる奇跡の一種である。
ローズは、元修道女である。体が弱く還俗するが、修道服のまま規律を守った生活を続け、ヴァイオレットに献身的に支えていた。ローズもまた、親から莫大な遺産を受けついていた。
岩下に連れられヴァイオレットを見舞った戸塚は、二人の生活に強い感銘を受ける。さらに岩下は、戸塚をロンドン郊外の修道院に連れ出した。そこで、戸塚は「若い聖女(厳格な意味で)」を出会い「生きている聖徳」を目にした。
神の声が雷のように轟いた --- 戸塚は電撃的に回心し、ヴァイオレットたちの共同生活に加わり、司祭への道へ歩み始めた。(抜粋)
善きソマリア人計画
この戸塚やヴァイオレットの共同生活は、新約聖書の「善きサマリア人のたとえ」に由来して「ボン・サマリタン(善きサマリア人)」という名前のもと営まれた。
ここで著者は、一時期、彼らのもと身を置いた長谷川路可(後にカトリック画家として大成)の推測、この「ボン・サマリタン」計画は、戸塚が自主的に始めたのではなく、岩下が戸塚に提案したのではないかという推測に触れている。
要するに、戸塚が主体的に始めたのではなく、戸塚は岩下に巻き込まれたのではないかという推測である。(抜粋)
さらに、著者は「ボン・サマリタン」計画そのものが、戸塚を回心させるための岩下の策略ではないかと言っている。
戸塚は、ロンドンで神学をまなび始め、パリの神学校に入るときも、ヴァイオレットとローズを同伴した。そして、戸塚ヴァイオレットとローズと共に帰国するが、帰国前にヴァイオレットと戸塚は、聖母の出現と傷病者を癒す泉で知られるう南フランスのルルドを訪れる。
巡礼の前後に奇跡的な治癒があり、ヴァイオレットは一人で歩けるまでに回復した。(抜粋)
帰国後の戸塚と岩下
共に一九二五年に帰国した戸塚と岩下だが、その後の人生は長くない。一五年ほどで相次いで世を去った。(抜粋)
戸塚文卿
ヴァイオレットとローズを伴って帰国した戸塚は、父の外科医院を聖ヨハネ汎愛病院に改めて、貧しい人を積極的に診察する。また、カトリックの重要文献などの翻訳、カトリック誌への寄稿、学生指導などを精力的に行った。
貧しい人を受け入れ、金に執着しないため、病院の経営は苦しかったが、それでも結核患者の療養施設を新設するなどした。また、カトリック中央出版部長、カトリック新聞社社長なども歴任した。そして、元からの高血圧に過労が重なり、四十七歳で生涯を閉じた。
戸塚は、死の直前親友に「くだらない一生だった」と打ち明けた。そして、誇りがあるとすれば「自分のやりたかった医学を放棄して神父となったことだよ」と言ったという。
岩下壮一
岩下は、志願して静岡県御殿場市の神山復生病院長に就任する。フランス宣教師会が設立したハンセン病療養所である。岩下は一〇年にわたり過酷な院長職を務め、宗教事情の視察に訪れた中国で体調を壊し、神山復生病院に入院するが、まもなく死去する。
ヴァイオレットとローズ
ローズは、来日して間もなく子宮筋腫が悪化し、手術をするが、術後に肺炎で亡くなる。そして、最も長生きしたのがヴァイオレットであり、彼女は、戦争のため日英関係が悪化しためロンドンに戻った。一九五〇年まで生きた。
日本のカトリックにおける岩下と戸塚の役割
最後に、第4章のまとめが書かれている。
著者は、岩下壮一と戸塚文卿の人生にはほとんど迷いがないと指摘している。そして、カトリックの信仰は、聖書を読んで理解することに重点を置くプロテスタントの信仰と違い、時に儀礼に身を浸し、神秘に触れることで深化するが、
二人は理性と霊性のバランスを絶妙に保ちながら、教会制度の中に救いの道を見出すモデルを提示した。(抜粋)
と評価している。
また、それは当時のカトリックのおかれている立場の状況に関わるとも言っている。当時、カトリックはプロテスタントに対して後発組であり、プロテスタントが自らを「新教」と呼びカトリックを「旧教」と呼んでいた。しかし、それは裏を返せば日本のカトリックにはほとんど失うものが無いということである。そのため、まず知識層を惹きつけ、その後一般信者を獲得するという目標に向かって進むだけの状況であった。神秘や奇蹟に満ちたヴァイオレットのような存在は、カトリックの信仰でしかありえず、そのような神秘を前面に押し出すこともできた。
しかし、岩下と戸塚は、奇跡は彼女の超自然的性を肯定しながら、前面に押し出さなかった。カトリックを知識層に浸透させるためには、理知的なカトリック像を強調する方が、神秘的な面を強調するよりも得策であると考えていたと思われる。しかし、戦後になるとカトリック教会の布教の対象が、より大衆に重点が置かれ、奇跡や聖人の圧倒的魅力を前面に押し出すようになる。


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