『キリスト教入門の系譜』 岡本 亮輔 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第2章 生まれ変わる聖書と日本人 ―― 占領期のキリスト教ブーム(その1)
今日から「第2章 生まれ変わる聖書と日本人」に入る。日本の敗戦後、マッカーサーは日本を近代化・民主化するためには、日本人のキリスト教化が不可欠と考えた。それは、日本のキリスト教にとって三度目にして最大のチャンスであった。第2章では、この時期の活躍した「黒崎幸吉」「片山哲」「野依秀市と亀谷凌雲」そして「ヴァーニンツ夫人」が取り上げられている。
第2章は、4回に分けてまとめるとする。それでは読み始めよう。
日本の敗戦後、統治を任されたマッカーサーは、日本人に自由と民主主義を教えるには、日本のキリスト教化が不可欠であると考えていた。そして、彼は、キリスト教を「全占領政策の基礎」に据えた。
このような状況は、日本のキリスト教にとって、ザビエルに始まる戦国時代の布教、明治のキリスト教解禁につぐ、三度目にして最大のチャンスだった。
推しの神の子 — 黒崎幸吉『聖書の読み方』
マッカーサーの聖書配布命令
マッカーサーは、神道の弱体化を進める一方、キリスト教を強烈に後押しした。これには、GHQ内からも信教の自由に反するという反論があったが、彼は意に介さなかった。マッカーサーは、日本にキリスト教の倫理と価値観を広めるため聖書の配布を命じた。
いわば聖書が国民的なキリスト教入門とされ、国を挙げて普及が促進された。(抜粋)
そして、日本全土で大規模な物量作戦と人海戦術により膨大な数の聖書が配られた。
異文化の壁と黒崎幸吉の『聖書の読み方』
しかし聖書には根本的な問題があった。日本人にとって聖書は、「異文化の壁」と「文体の問題」の二つの点の問題で読みにくかった。
聖書を始めて読む日本人の前には、異文化の壁が立ちはだかった。そのため、聖書の読み方を説く入門書が出版された。その中で占領期に注目される著作は、黒磯幸吉の『聖書の読み方 — 始めて聖書を読む人の為に』である。
著者の黒崎は、実業界で成功した後に無教会主義の伝道者として内村鑑三に直接学んだ人である。この『聖書の読み方』は、戦前刊行の初版本を、戦後に新生日本の礎とするために、副題を追加して再版したものである。
黒崎は、聖書が日本人にとって馴染みがなく、理論的な仏教に比べれば幼稚に見える部分もあると認めたうえで、
聖書に向かう時は自分の意見や経験を捨て、「空虚な心」で読めと説く。(抜粋)
そして、その矛盾が矛盾に感じられなくなることが聖書読解の真髄であるという。何よりも世界最多の読者を獲得した本であるという事実が、その価値を保障していると言っている。
新生日本が掲げる軍備全廃や平和主義、さらには真の民主化も、聖書を信じなくては実現しないと黒崎は結論する。(抜粋)
著者は、師である内村鑑三が、欧米とキリスト教を切断するのに苦心したが、弟子の黒崎は再び両者をつなぎ合わせた、と指摘している。黒崎は、理想的な社会である欧米にならうため、「聖書に全面降伏すべきだ」と説いたのである。
聖書の文体の問題
聖書にはもう一つ問題があった。それは文体である。邦訳の聖書は、文語体が用いられ、そもそも日本語が読みにくかった。
日本の聖書の画期は、明治学院の創始者ジェームス・カーティス・ヘボンが中心となった翻訳委員会による『新約全書』(一八八〇年)である。これは明治元訳と呼ばれる日本初の聖書であるが、漢訳聖書を参考にしたため和漢混合であった。これを大きく改定し『大正改訳聖書』(一九一七年)が刊行された。この聖書は格調が高く、現在でもファンがいる。しかし漢文の素養がない一般人には難しかった。
戦後、GHQの支配下、「現代かなづかい」の実施が告示され、聖書の現代語訳への機運が高まった。これにいち早く動いたのは賀川豊彦であった。賀川は五二年に初めて口語訳の新約を完成させた。しかし、その後、広く用いられたのは、日本聖書協会による口語訳である。この口語訳は、豊後より格段に読みやすいが、格調が欠け冗長散漫になったという批判もされた。
この口語訳には、失敗作という批判も多いが、著者は「日本人に聖書を読むという体験を初めて広く開いたという功績は大きい」と評価している。

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