『奇人と異才の中国史』 井波 律子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
II 統一王朝の興亡 1 政治と詩の世界 — 唐・五代(その1)
今日から「II 統一王朝の興亡」に入る。今日のところは、「1 政治と詩の世界– 唐・五代」である。ここで取り上げられるのは、「則天武后」「李白」「顔真卿」「白楽天」「魚玄機」「馮道」「李煜」の7人である。
唐・五代時代は、3つに分けてまとめるとする。まずは、「則天武后」「李白」「顔真卿」である。それでは読み始めよう。
則天武后(皇帝)
則天武后は、中国空前絶後の女性皇帝である。中国魏晋南北朝の乱世を統一したのは隋王朝であったが、隋はすぐに滅亡し、その後に成立した唐は、約三百年に続く大王朝となる。
この唐の基礎を作ったのは、第二代皇帝太宗であった。そして、則天武后はもともと太宗の後宮の官女であった。則天武后は、太宗の死後、即位した息子の高宗に愛された。そして彼女は、現皇后の王氏を蹴落として、自身が皇后となる。
この皇后交替は、政治的な意味合いもあった。それは王氏を支持したのが貴族層であったのに対して、則天武后を支持したのが、科挙により官界に入った新官僚層であったため、皇后の交代は、新興勢力の勝利という意味合いも持った。
則天武后は抜群の政治力があり、病弱の高宗の代わりに国政を担い、高宗が死去すると、中宗、睿宗などの傀儡政権を経て、六十七歳でついに即位し、周王朝を立てる。この「武周革命」で一旦唐王朝は滅亡する。
しかし、退位させた息子の中宗をかつぐクーデターが発生し、病床にあった則天武后は譲位させられた。こうして唐王朝は再興され周王朝は十五年で消滅した。この十か月後、則天武后は八十二歳でこの世を去った。
李白(詩人)
李白あざな太白は、盛唐の大詩人である。李白は、蜀の大商人の家に生まれ、学問は優秀、詩文の才能も抜群であった。しかし、当時の科挙は未整備で商人に受験資格がなく、そのため李白は、出世ルートで世に出ることができなかった。
李白は、十代後半から二十代前半にかけて、蜀の各地を放浪し研鑽を積んだ。そして、二十四歳の時に、父から多額の資金援助を受け諸国漫遊の旅に出る。この旅には二つの目的 — 「生来の放浪思考を満足させる」、「科挙以外に世に出る道を模索する」 — があった。
江東を放浪すること三年、安陸に住む元宰相の孫娘許氏と結婚するが、元宰相の栄光は過去のもので、李白をバックアップできなかった。李白は、妻が死去するまで安陸を拠点とし放浪した。そして、妻が死去しても隠遁と放浪を繰り返した。
すると友人の道士が李白を玄宗皇帝に推挙し、めでたく召し出されることになる。李白は、「謫仙人(天上から人間界に流された仙人)」と称賛され、玄宗も気に入り側近近くに仕えさせた。
しかし、玄宗皇帝は老齢となり、楊貴妃との歓楽におぼれ、周囲の取り巻きは、品性下劣な小物ばかりであった。すっかり失望した李白は、自分から傍若無人な狂態を繰り返し、辞職して長安を去ってしまった。
その後、李白は放浪と遍歴に戻り、それなりに充実した日々を送るが、「安史の乱」に巻き込まれ、逮捕・投獄される。三年後に恩赦により無罪放免となるが、その三年後に病気によって死去した。ときに李白六十二歳であった。
顔真卿(書家)
顔真卿あざな清臣は、王義之につぐ大書家として知られている。彼は、『顔氏家訓』を残した顔之推の六代目の子孫である。もともと学問を重んじる家柄であったが、曾祖父代からは書も重んじていた。このように顔氏一族は知的・芸術的にはすぐれていたが、経済的には恵まれず、顔真卿も科挙に挑戦し二十九歳で合格、官界入りした。その後順調に昇進を果たすが、四十五歳の時に、玄宗の籠姫楊貴妃の親類で、宰相であった楊国中に憎まれ、地方に飛ばされ平原郡の長官となった。
そして、彼が平原にいるときに「安史の乱」が起こる。河北・山東の郡県は安禄山に恐れをなし、たちまちその勢力下に入ったが、顔真卿と従弟の顔杲卿は、戦い続け、顔杲卿は敗れ処刑されたものの、顔真卿は、陥落寸前で平原を逃れた。
この不屈の奮戦によって、後世、彼の評判は高まる一方となる。(抜粋)
その後、顔真卿は、長安に戻り、玄宗後も粛宗、代宗、徳宗と三代の皇帝に仕えるものの、猛威を振るう宦官や重臣と衝突し、左遷と朝廷復帰を繰り返した。そして、彼を敵視する重臣の差し金で、反乱を起こした節度使の李希烈のもとへ使者として派遣される。そして彼は李希烈のもとで三年間、拘留されたのちに殺害された。ときに七十七歳であった。
生涯にわたって、毅然として剛直だった顔真卿は、がっちりと骨太い楷書体も、のびやかで自在な行書体・草書体も、王義之と優美な書とは異なり、その生き方さながらに気迫のこもった力強さにあふれている。まさに書は人なりである。顔真卿の書は、その稀有の生涯への感嘆とあいまって、後世の書家にはかりしれないほど大きな影響を与えた。(抜粋)

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