『日本奇僧伝』 宮元 啓一 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
玄賓 – 反骨の人
今日のところは「玄賓」である。これまで「異能の人」が取り上られていたが、ここから「 反骨の人」が始まる。それでは読み始めよう。
僧というものは、出家した人であり世俗の価値体系を捨てた人である。しかし、日本では明治までの長い間、僧綱制により世俗の権力の管理下であった。僧正、僧都などの序列が世俗法によって制定され、重要なポストは朝廷や幕府に任命権があった。
このような状況で出家の世界も世俗同様に貪瞋痴の三毒が猛威を振ることも多かった。
というわけで、心ある僧たちは名聞利養の道に迷いいることを避けるため、重要なポストへの就任を固辞したり、山から出奔したりした。(抜粋)
反骨の人では、このような行動をとったことで世の人々に深い感銘を与えた僧たちが集められている。
玄賓の出奔
玄賓は、奈良の興福寺で、法相唯識の教学を学び大変優秀だった。しかし、世を厭う心が深かったため、他の僧たちと交わりを持たずにいた。それは、寺の中でも人間関係を保つには愚かしい営みをしなければならないことがわかっていたからである。そして寺を飛び出し、初瀬川のほとりで小さな庵を結び瞑想の日々を送った。
この玄賓の振舞いは、玄賓の思惑をはずれかえって世の注目を集めたとみえる。(抜粋)
桓武天皇は、嫌がる玄賓を無理やり招き出して、伝燈大法師という称号を授けた。これは、玄賓にとって不本意なことであったが、さらに平城天皇から、大僧都に任命された。しかし、この時は断固としてこれを拒否している。
こうしたことがあってしばらくの後、玄賓は、弟子や使用人にも知られることなく、突如として行方をくらましてしまう。
発心集の玄賓の逸話
ここより、鴨長明の『発心集』に出てくる玄賓の逸話が紹介されている。
当時、遁世に心を傾けるほど人びとの間では、玄賓が理想の人物として憧れの的であったことは確かである。このことは、鴨長明が『発心集』の冒頭に玄賓の話を二つ続けて掲載していることからも推察できる。(抜粋)
渡し守をする玄賓
それからかなり年月がすぎたころ、玄賓の弟子が所用で北陸地方に赴いた。そして途上で大きな川に行き当たり、渡し船に乗りこんだ。この時の渡し守は、髪もぼさぼさでみすぼらしい風体の法師だった。しかし、何かピンとくることがあり、思いを巡らしていると、長年行方不明になっている玄賓僧都であることに気がついた。法師は視線をそらして気がつかないふりをしていたが、玄賓自身も気がついているようであった。
法師は、このようなひと目の多いところで尋ねると、却ってややこしいことになる、都に帰るときに、人に僧都のいらっしゃるところを聞き出して、ご挨拶しようと、思いそのまま旅をつづけた
しかし、都への帰り道に渡し場に来ると別人が渡し守をしていた。玄賓僧都は、ある日突然、ふと姿をくらまし、どこに行ったさっぱり分からなくなっていた。
玄賓と郡司の話
伊賀の国の郡司のもとに、ひとりの風体のよくない法師が、雇ってほしいとやってきた。郡司は、法師がどのようなことでもいたす所存であるというので召し抱えることにした。法師の働きは丁寧であったので、郡司は法師に、自分の馬の世話を任せることにした。
こうして三年ほどたった後、郡司は国司に不都合なことをしたため、国の内から追放されるという破目になった。
郡司が泣く泣く出立の準備をしていると、法師がわけを聞かせてほしいと言ってくる。法師が熱心に食い下がってくるので郡司は事の次第を法師に話をした。すると法師は、ものには思いもよらぬことがあるので、まず京に上がり、こちらの実情を訴えた方がよかろうと言い、自分に少しばかり知っている人がいるので、尋ねていって話をしようと、進言した。
郡司は、この法師は見かけによらずえらいことを言い出したと思ったが、他に方策もないので、一緒に京に上った。伊賀の国司を務めていたのは、大納言のなにがしという人物であったが、この大納言の邸宅近くにつくと、法師は、この風体ではいかにも見苦しいので、袈裟と衣を求めてきてくださいと言った。
郡司が袈裟と衣を借りて来ると法師はそれに着替えて、大納言の屋敷に入っていった。法師が「お頼み申す」と声をあげると、それを聞いた人がみな、ひざまずいて敬意を示す。大納言も飛び出してきて、法師挨拶をする。慌てている国司に対して、法師は、郡司の件について釈明を行った。すると話はすんなりと運んで、大納言は郡司に対して、以前にも増す処遇を盛り込んだ庁宣(国司の命令書)を下付した。
郡司は、その場で玄賓に感謝しなければならかったが、あまり事の成り行きのため言葉が出ずに、宿に戻ってからゆっくりと申し上げようと思っていた。しかし、玄賓の方は、袈裟と衣を脱ぎ捨てて、先ほどの庁宣を置くと、そのままいずこともなく行方をくらましてしまった。
玄賓の不浄観
さらに、発心集には、若いころの玄賓を描いたとみられる話も載っている。
あるとき玄賓僧都が患ったふうで、何日も調子が悪かった。心配した大納言が聞くと
「本当のところを言いますと、たいした病でもないのです。実は、先日、貴殿のお宅を参りましたときこのことです。たいへん美しい奥方の姿形を、ほんのちらりとお見受けしたのですが、それからというもの、頭がぼおっとし、心がまどい、胸がふたがる思いに取りつかれてしまいまして、口を利くこともできなくなったというわけなのです」(抜粋)
すると大納言はびっくりして、玄賓に「お望みがかなうように、ご便宜を計らせていただきます」と返事をした。そして、大納言が奥方に事の顛末を話し、計画を洗いざらい打ち明ける。すると奥方は「あなたがそこまで仰ることですから、いやだとは申しません」と答えた。
準備が整い玄賓僧都は、法服を身にまとってやってきた。大納言は僧都をそれなりに仕切った部屋に案内した。その後、玄賓僧都は奥方が美しく装っているのを、一時(今の単位で約二時間)ほどまじまじと見つめるだけで、そばにも寄ってこなかった。そして、そのまま退出して帰ってしまった。
このことがあってから、大納言は玄賓僧都をますます敬うこと限りなかった。おそらく玄賓僧都は、不浄観を行じて、その執着の心を翻したのであろう。(『発心集』四の六)(抜粋)
ここで不浄観についての説明が書かれている。
不浄観とは、五停心観(不浄観、慈悲観、因縁観、界分別観、数息観)に治められる観法(瞑想法)の一つで、人の身体は汚らわしいということを心に刻みつける観法である。
尚、晩年の玄賓に対して、嵯峨天皇は、毎年、布を贈り、玄賓の庵のある郡の租税を免除したという。
関連図書:鴨長明(著)『新版 発心集』 上、下、角川書店(角川ソフィア文庫)、2014年


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