[再掲載] 『史記』を貫くひとすじの紅い糸
雑喉 潤 『『史記』の人間学』より

Reading Journal 1st

「『史記』の人間学」 雑喉 潤 著 
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2005-07-16)

第1章 『史記』を貫くひとすじの紅い糸

この章は序章として、司馬遷の執筆態度。(神話の領域の事を書かなかったこと、文献にあたるとともに現地に赴いて資料を集めた事)
史記の構成について。「本義ほんぎひょうしょ世家せいか列伝れつでん
著者は、史記は「列伝」がもっともはつらつとしていると言う。
そのわけは

自分自身の悲劇的で過酷な体験が根底にある。司馬遷はこの体験によって、人間がこの世に生きること自体の悲劇性を痛感したため、その悲劇性を、迫真力をもって表現したかったからであると考えられる。

と言っている。

司馬遷の悲劇とは、彼が匈奴きょうどの捕虜になった武将李陵りりょうを弁護した事で、武帝ぶていの怒りを買い、宮刑みやけいとなった事であるという。
宮刑は、日本には、なかったから馴染みが薄いが、男性器を取り除き宦官かんがんにする事である。
(死刑の次に刑が重かった。もっとも、自ら進んで宦官となるものも多かった。)

司馬遷は、列伝の最初に「天道てんどう是か非か」と言う問いかけをおいたと言う。

司馬遷はこの立体的な歴史にひとすじの紅い糸を通した。それは孤立無援のまま、正義を胸に抱いて世を去らねばならなかった、代表的な人たちの叫びだった。

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