内村鑑三の戦いと予言(後半)
岡本 亮輔 『キリスト教入門の系譜』より

Reading Journal 2nd

『キリスト教入門の系譜』 岡本 亮輔 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

序 章 内村鑑三の戦いと予言――読むキリスト教の始まり(後半)

今日のところは「内村鑑三の戦いと予言」の“後半”である。“前半”では、内村鑑三の生涯を追った。それに続いて”後半“では、内村の「無教会主義」について考察し、それが日本の「読むキリスト教」の祖型となっていることが説明されている。それでは読み始めよう。

ファン以上信者未満の読者たち

ここからは、内村鑑三の人生をもとに、現代日本のキリスト教を考えるための視点と論点を抽出してみたい。(抜粋)

教会の衰退と無教会主義の広がり

著者は、内村鑑三の『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』(一八九五年)を参照し内村の「無教会主義」を考察している。

この本でまず目に引くのは、キリスト教徒の少なさである。その時点のキリスト教の信者数は、約五千人、人口の0.01%にも満たない。内村はここを出発点とし、これから本腰を入れれば四半世紀で全国民をキリスト教徒にできると考えていたが、実際には、今なお信徒の数は少ない。しかも現在の信徒数は停滞から衰退のフェーズに入っている。

そして、この信徒数の減少は、日本のみならずキリスト教圏でも起こっている。その背景には、教会組織と現代社会の乖離があり、教会の保守的な価値観への違和感から、受洗者や礼拝出席者は激減している。

ただし、それは即座にキリスト教の衰退を意味するわけではない。教会組織の衰退とキリスト教の衰退は完全には重ならない。なぜなら、教会に通わずとも、聖書を読み、神への信仰を胸に抱く人々が存在するからである。(抜粋)

このように欧米でも教会の外のキリスト教は広がっていて、内村の「無教会主義」は、今や世界のキリスト教の未来像の一つと重なって見える。

伝説の演説、「後世への最大遺物」

そして、渡米後、内村は理想と現実の落差に打ちのめされる。アメリカは、キリスト教の聖地だと思っていたが、そこには、スリも泥棒もいるし不信仰な人たちも多かった。

アメリカでは、キリスト教の教義や神学については、あまり得る物がはかった。しかしその代わりに節目節目で出会った人々に心を揺さぶらている。

まず最初に内村に看護の仕事を与えてくれた医師アイザック・ニュートン・カーリンである。内村はカーリン夫妻と看護の現場で、自己犠牲と無私の精神を学んだ。夫妻は正当なクリスチャンでなく、特に妻は、三位一体さんみいったい説を否定しキリストを神と認めない非正統派のユニテリアンだった。内村は最初ユニテリアンに反感を抱くが、夫妻の熱意と行動力を目にして、ユニテリアンと両立しない正統派など「正しい教義」に値しないと思うようになる。

さらに影響を受けたのが、アマースト大学のシーリー学長だった。内村は、シーリーの講義、言葉、立ち振る舞いの全てに影響を受け、「ニューイングランドで主がぼくの前にあらわれたのだ」と述懐している。

欧米流の教会を文化背景が違う日本に移植するのは難しい。そのため日本人は日本人としてクリスチャンになり、それぞれのキリスト教を生きるしかない。

無教会主義は一人一の信仰、一人一教義、一人一儀式、一人一先生、すなわち「一人一教会」に行きつくのである。(抜粋)

しかし、自分だけの教会を作るにも水先案内人はいる。内村にとってそれは、牧師や宣教師ではないカーリー夫妻でありシーリーであった。そして、紙上の教会を主宰するようになると今度は内村がその先達となった。

一八九四年に内村は伝説の演説、「後世への最大遺物」を行った。

内村は説く、子や社会のために金や事業を残すものは尊い。学者や探検家が発見を残すのも、文学や思想や教育を残すのも尊い、しかし、これらには相応の才能が求められ、誰もが残せるものではない。それでは、凡人が残せる最大遺物とは何か --- それは「勇ましい高尚なる生涯」である。一人の人間が勇気をもって行きぬいた生涯に勝る文字も学問もない、と内村は語った。(『後世への最大遺物』)。(抜粋)

この生き様を継承するという視点は、キリスト教入門を考える上でも重要な視点となったと、著者は言っている。

著者は、キリスト教の入門書の内容や説明は、基本的な信仰や実践が定められているため、根本的な違いはないと指摘する。

だからこそ「何を語るか」ではなく、「誰が語るか」だ。コンテンツよりも著者の存在が物を言う。書き手の人生、時代、場所、経験が語りに奥行きを与える。だから本書では、書き手の人生い深く分け入りながら、キリスト教入門書の系譜を探っていく。(抜粋)

読むキリスト教と「ファン以上信者未満」の読者

西洋では、教会を離れる人々が増え、教会中心のキリスト教の限界を示している。日本では、そもそもキリスト教が少数派を脱したことはなく、破綻以前に隆盛がない。

本書では、無教会主義を宗教社会学的に拡張した視座をとる。(抜粋)

無教会主義では、内村のような先達を中心に信者組織が生まれても、それは永続してはならない。永続は、無教会主義の理念と根本から矛盾するからである。紙上の教会には、永続的なコミュニティになれない危うさがある

ここで著者は、日本のキリスト教徒の数の問題に再び触れている。日本では戦後のキリスト教ブームの時に、信者にはなったが教会を嫌い洗礼を受けずに教会名簿に載らなかった人が相当いる。さらに無教会の信者も合わせると、相当な数となるはずである。つまり、日本では無教会のクリスチャンがマジョリティーである。

それ以上に多いのは、キリスト教に興味や親しみを抱きながら、自らを信者と考えない人ではないだろうか --- いわば、信者未満のキリスト教ファンである。(抜粋)

本書が、入門書を取り上げるのは、この「ファン以上信者未満」の読者を、日本のキリスト教の多数派としてとらえ直すためである。こうした視点により本書では読むキリスト教の広がりを考えていく。

キリスト教を阻む不思議な力

内村鑑三という名を、私たちはどのように記憶しているだろうか。ここでは最後に、内村鑑三の顕彰の形を通して、日本のキリスト教の特質 --- 信者数の少なさと文化的影響力の落差 --- を象徴的に眺めてみたい。(抜粋)

内村鑑三の顕彰としての「石の教会」

まず著者は、内村鑑三の親友の宮部金吾新渡戸稲造がどう顕彰されたかを見ている。

  • 宮部金吾:内村が創設に尽力した札幌独立キリスト教会の現在の建物は「クラーク・宮部記念堂」と呼ばれている。
  • 新渡戸稲造:五千円札の図柄に選ばれ、札幌には、新渡戸稲造記念公園、さらに北海道大学では、新渡戸稲造の名が冠された教育プログラムがある。

それに対して不敬事件以降在野の聖書研究者として生きた内村を自治体や国立大学が顕彰することは難しい。

そうした中、最も純粋に内村を記念する建築が軽井沢にある。それが「石の教会 内村鑑三記念堂」である。(抜粋)

著者がこのように言っている「石の教会」は、星野リゾートがブライダル事業の一環で運営する、結婚式教会である。

この教会の理念は、内村鑑三の無教会思想信仰を持たずとも心のどこかに祈りたいという思いがある人、信仰を持っているが祈るべき教会がない人、何もとらわれない自由な精神を持つ人 に開かれている教会 — である。

筆者は、石の教会をキリスト教の商品化・通俗化として例示したわけではない、むしろ反対で、石の教会にこそ日本のキリスト教の現在地が象徴されていると感じている。(抜粋)

内村をはじめとする本書で扱っている著者の悪戦苦闘によっても、日本のキリスト教の信者数はいっこうに増えないが、キリスト教への愛着をはぐくんだ点で、彼らは功労者である。

見える教会の縮小と見えない教会の拡大 --- この不均衡こそ、日本のキリスト教の特質なのである。(抜粋)

『石の教会 内村鑑三記念堂』の理念

内村鑑三が「無教会」という言葉を初めて使うのは、『基督きりすと信徒のなぐさめ』である。これは、不敬事件からわずか二年後に刊行された。そこには

余は無教会となりたり、人の手にて造られし教会今は余は有するなし、余を慰むる讃美の声なし、余のために祝福を祈る牧師なし、然らば余は神を拝し神に近づく為めの礼拝堂を有せざる。(抜粋)

と書かれている。名誉も財産もなくキリスト教界からも阻害された内村が、奈落の底から絞り出した決断が無教会なのである。

そして、それから一世紀も経ないうちに、日本に石の教会が現れた。星野温泉の創業者、星野勘助は内村の『聖書之研究』の愛読者であった。内村も星野温泉旅館の常連でそこで開かれていた芸術自由教育講習会にも登壇している。

このような縁で、「石の教会」は「内村鑑三記念堂」という名を冠することになる。そして、無教会主義は無教会思想と言いかえられ、結婚式教会の理念に溶け込んでいる

読むキリスト教の祖型

本章はキリスト教入門の系譜をたどる出発点として内村鑑三の人生に焦点をあてた。内村は、明治の近代化と西洋化の奔流のなか、信仰の問題を正面から挑み、個人の内面と聖書との結びつきを重んじる無教会主義を打ち立てた。

そして、内村の門下生は、政治・学問・教育・出版など各界で活躍し、彼らの著作はキリスト教シンパ層にも影響を与えた。

キリスト教に親しみを抱くが、洗礼を受けていない人々の存在は、内村が示した教会外のキリスト教の延長線上にある。


関連図書:内村 鑑三(著)『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』、岩波書店(岩波文庫)、2017年
内村 鑑三(著)『後世への最大遺物・デンマルク国の話』、岩波書店(岩波文庫)、2012年
内村 鑑三(著)『キリスト信徒のなぐさめ』、岩波書店(岩波文庫)、2021年

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