ヴァイニング夫人と光の子 — 生まれ変わる聖書と日本人(その4)
岡本 亮輔 『キリスト教入門の系譜』より

Reading Journal 2nd

『キリスト教入門の系譜』 岡本 亮輔 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

第2章 生まれ変わる聖書と日本人 ―― 占領期のキリスト教ブーム(その4)

今日のところは「第2章 生まれ変わる聖書と日本人」の“その4”である。占領期の日本のキリスト教化政策は、皇室の内部にまで及んだ。ここでは、皇室とキリスト教の接近について、特に皇太子の家庭教師として招かれたヴァイニング夫人とそのクエーカーとしての教育に焦点を当てている。さらに、夫人が信仰していたクエーカーと無教会主義の類似性に言及している。それでは、読み始めよう。

皇室御用達のキリスト教 — ヴァイニング夫人と光の子

占領期の皇室とキリスト教

戦前天皇は現人神あらひとがみとされていたため、一見、天皇とキリスト教の相性は悪そうだと思われそうであるが、文化という点では、皇室はキリスト教と親しんできた。だが、占領期の皇室は、キリスト教とさらに近い関係であった。

占領期においては、クリスチャンの賀川豊彦ココ参照)は東久邇宮稔彦ひがしくにのみやなるひこ内閣の参与となり、天皇に随伴して各地を見回り、聖書を講じた。また皇室の女性たちは、植村たまきからキリスト教を学んだ。植村環は、日本のプロテスタントの主流派を築いた植村正久の娘で英米に留学し、敗戦後にはアメリカのキリスト教団体からからの招聘で渡米しトルーマン大統領への伝言を託されている。

皇室の人事も、侍従長に新渡戸稲造に感化され、内村鑑三に薫陶を受けたクリスチャンの三谷隆信みたにたかのぶが就任し、宮内府長官(のちの宮内庁長官)に、クリスチャンでこそないが新渡戸稲造の弟子の田島道治みちじが就任した

皇太子の家庭教師ヴァーニング婦人

しかし、占領期日本に最大のインパクトを与えたクリスチャンは、次代天皇のすぐそばにいた。(抜粋)

アメリカ人のエリザベス・グレイ・ヴァーニングは、一九五〇年から四年にわたり皇太子の家庭教師を務めた。皇太子の家庭教師には「狂信的でない婦人のキリスト教徒」が条件であった。彼女の日本滞在や皇族との交流については、夫人が著した『皇太子の窓』に詳しく書かれている。

英語の家庭教師として来日したヴァーニング夫人は、英語だけを教えたわけではなく、彼女自身「アメリカ的な民主主義の思想と実践とを、皇太子殿下その他の生徒たちに教えるという、さらに大きな仕事の方便にすぎない」ことを理解していた。

ヴァーニング夫人と光の子

ただし、夫人は皇太子への宗教教育には慎重だった。それは、彼女が熱心なクエーカーであったからである。

クエーカーは、一七世紀イングランドでジョージ・フォックス(一六二四~九一)が創始した教派である。あらゆる人に内なる光が(内なるキリスト、神の種とも言われる)が宿るとし、それを個々人が体験することを重視する。そのため、クエーカーはプロテスタントの中でも、特に教会組織や儀式に頼らない。(抜粋)

クエーカーの礼拝では、出席者はただ静かに内なる光に耳をすませる。そして、時折、内なる光に導かれた者が話し始め、体を震わせることがあるので震える人クエーカーと呼ばれている。正式には、キリスト友会やフレンド派と呼ばれる。

クエーカーは徹底した平和主義を掲げ、戦争や死刑などの暴力を否定する。そして、第二次世界大戦中は信者たちの奉仕団が難民救済や食料・医療支援に携わった。それらの活動が評価されヴァーニング夫人が滞日中の一九四七年に英国フレンズ協議会と米国フレンズ奉仕団がノーベル平和賞を受賞している。

クエーカーのヴァーニング夫人にとって、宗教とは儀式や教義などの問題ではなく、自分自身の内なる光を見出すことが重要なことであった。そのため、皇太子は、洗礼を受けたり、教会へ通ったりする必要もなかった。

著者は、夫人が皇太子の教育のために整えた環境そのものが、クエーカー流の宗教教育であったと、言っている。さらに、その環境にはクエーカーの人々が多くかかわっている。

クエーカーと無教会主義

組織や儀式を最小限に留め、個人の霊的体験を重視するクエーカーの信仰は、無教会主義と親和性が高い(抜粋)

実際に内村鑑三は、「僕はクエーカーが大好きだ」と言っている。また新渡戸稲造は一時期キリスト教に絶望したが、留学中にクエーカーの信仰と出会い、日本人初のクエーカーとなった。

新渡戸・内村を中心とした人脈と、クエーカーの人脈が重なり合っているが、それは無教会主義とクエーカーが本質的に近いからである。いずれも、教義や儀礼、組織などの形式を排して、個人の内面的な信仰体験を重んじている。

中立性が求められる皇室にとって、こうした「教会なきキリスト教」は好ましい形態だったと言えよう。(抜粋)

このように皇室に無教会的なキリスト教人脈が築かれたことにより、『内村鑑三の生涯と事業』という特筆すべき進講が行われた。不敬事件ココ参照)で汚名を着せられた内村鑑三は、これにより六〇年近い歳月を経て、名誉が回復された。

このような経緯を踏まえると、占領期の日本キリスト教入門書として、山室武甫ぶほ『ジョージ・フォックス : 平和の使徒』は、注目される一冊である。同書は、クエーカーの創始者フォックスの生涯と思想、そして日本のクエーカーの受容史を丁寧にたどる。

敗戦を経て、日本のキリスト教は「素朴純粋なる原始的霊的基督教」に立ち返るべきだ --- 形式や制度をぎ落としたクエーカーの姿こそ、普遍的な倫理道徳としてのキリスト教の原形があるというのである。(抜粋)

幻に終わった宗教改革

最後に著者は、第2章で取り扱った占領期のキリスト教ブームについて総括をしている。

占領期日本では、マッカーサーの絶大な権力のもと、日本の宗教改革、キリスト教化が進められた。しかし、実際は、キリスト教徒の実質的な増加には結びつかなかった。マッカーサーは本国に二〇〇万人以上の日本人がキリスト教に入信したと報告したが、実際の信者数は三三万人で、総人口の〇.五%にとどまった。

マッカーサーの強力な後押しによって、キリスト教に触れる機会は増えたもののほとんどの日本人は教会の外に留まったままであった。

戦後のキリスト教ブームについて、著者はマッカーサーの機嫌を損ねまいと、皇室と日本国民が忖度そんたくし、キリスト教に関心を示すそぶりをしただけであるという分析には説得力があるといったのち、次のように総括している。

マッカーサーの示したキリスト教は、民主主義や平和主義の源泉として理想化され、日本(人)の新生に不可欠な普遍的な倫理道徳として国民に与えられた。それによって、制度や象徴レベルではキリスト教の存在感が増した一方、個々人の信仰や教会への参加が広がらなかったのは当然の帰結だったと言えよう。(抜粋)

関連図書:E.G.ヴァイニング(著)『皇太子の窓』、文藝春秋(文春学藝ライブラリー)、20150年

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