『奇人と異才の中国史』 井波 律子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
II 統一王朝の興亡 2 新しい知識人たち — 宋(前半)
今日から「2 新しい知識人たち — 宋」に入る。ここで取り上げられるのは、「林逋」、「王安石」、「沈括」、「徽宗」、「李清照」、「辛棄疾」の6人である。
宋時代は、”前半“と”後半“の2回に分けてまとめることにする。まずは、「林逋」、「王安石」である。それでは読み始めよう。
林逋(詩人)
林逋あざな君伏は、北宋初期の高名な隠遁詩人である。彼は、五代十国時代に十国中の一つである呉越に生まれた。祖父は呉越の高官であったが、彼が十二歳の時に呉越は宋によって滅ぼされた。この呉越の滅亡により宋の二代皇帝の太宗は、中国全土を統一した。
このような情勢のなか林逋は二十歳のころから詩会での報酬を得ながら江北・江南を遍歴する。やがて長期の遍歴で身体を壊した林逋は四十歳ごろから西湖のほとりの孤山で隠遁生活に入った。
隠者となった林逋は文字どおり無欲恬淡、鶴や子鹿とともに気ままに自由な暮らしを楽しんだ。(抜粋)
また、彼は梅マニアであり、鶴を子供に子鹿を召使に梅を妻に見立てたとされる。
林逋は隠遁前から名高い詩人であったが、隠遁後はますます詩作に励んだ。古来中国でも日本でも、この透明感のある清新な詩風に見される林逋ファンは多い。
すぐれた詩人・文人で世俗に無関心な隠者の林逋の名声はしだいに高まり、当時の皇帝をはじめとした実力者は、いろいろなものを林逋に贈っている。そのようなものは隠遁生活の支えとなっていたと思われるが、彼自身はいくら援助をうけても、恩義にも負担にも感じることはなく、平然としていた。このような隠遁生活をすること二十年あまり林逋は六十二歳で没した。
王安石(政治家)
王安石あざな介甫は、北宋の大政治家にして名高い文学者である。彼は文学者として高い評価を受けてきたが、政治家としては二十世紀初頭の大ジャーナリスト梁啓超に再評価されるまで、ずっと悪口雑言を浴びてきた。
王安石は、十九歳の時に地方官だった父が死去し、二十二の時に優秀は成績で科挙に合格した。長男だった王安石は、大家族を養うために、好んで地方勤務を続ける。当時は、地方官の方が収入がよく、大家族を養いやすかったからである。
着実に実績を重ねた王安石は、三十八歳でようやく中央政界に進出した。しかし、数年で母の死の喪に服するため辞任した。その後、中央政界に復帰するのは、辞任してから五年後の四十八歳の時だった。
王安石が復帰したのは、皇帝の神宗が国家の抜本的改革の責任者として王安石を抜擢したからである。そして宰相となった王安石は、歪んだ経済・農業システムを改め、赤字財政を立て直すべく「均輸法」「青苗法」等々の新法を立案し改革を実行する。しかしこの急激な新法改革は官僚を「新法党」と反対派の「旧法党」に分裂させ、また、手法が厳格で性急なこともあり、高級官僚・大地主・大商人のみならず民衆まで王安石への反感が広がった。王安石は「拗宰相」と呼ばれる始末であった。
そして、新法改革はとん挫し、王安石は息子の死を機に宰相の座を下りて、故郷へ戻り、まもなく政界から完全に引退、十年後に六十六歳で死去した。
近代国家システムを先取りした感のある大政治家、王安石は以後、伝統中国の異端者として嫌われつづけ、真の理解者を得るまでなんと八百年あまり、待たなければならなかった。(抜粋)
沈括(科学者・文章家)
沈括あざな存中は、天文・地理・医学・薬学・数学等々の科学分野に精通し、伝統中国屈指の科学者である。さらに、音楽にも識見があり文学者でもあった。彼は、自然科学から芸術・文学なでの広い分野を網羅した『夢渓筆談』を著した。
沈括は、進士ながら不遇だった父の死後、貧しくて科挙受験準備の費用を捻出でききずに、二十四歳で恩陰(父の官位)によって特別に地方官となった。水利・灌漑事業を成功させて実績をあげる。そして、在官のまま受験できる制度により科挙に合格し、三十二歳で中央官僚となった。
このころ官界では、新法党と旧法党が争っていて、沈活は新党派のリーダー王安石の協力者となって、内政・外交に活躍する。やがて王安石と不仲になったが、これが幸いして、王安石が失脚すると、みるみる昇進して三司使(大蔵大臣)兼翰林学士(皇帝の秘書官)となる。
結局この昇進は裏目にでて、変わり身の早い沈括の処世に反感がつのり、断崖を受け失脚、地方官に左遷となってしまう。そして西夏軍と対戦して敗北したとき責任を負わされ、官位剥奪、蟄居の処分を受けた。
しかし、粘り強い沈括は、蟄居中に中国全土の地図「天下州県図」を完成し献上する。この功績により自邸の「夢渓園」への移住を許可され、これより六十五歳で試供するまで七年間を『夢渓筆談』をはじめ、著作の執筆に専念する日々を送った。
関連図書:沈括(著)『夢渓筆談』全3巻,平凡社〈東洋文庫〉,1978–1982年

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