青色の世紀 —- Toulouse(トゥールーズ)
池上 英洋 『フランス 26の街の物語』より

Reading Journal 2nd

『フランス 26の街の物語』 池上 英洋 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

Chapter 3 歴史の断片 / 青色の世紀 —- Toulouse(トゥールーズ)

青色顔料の歴史

西洋では古来青色が珍重された。絵画に用いられる最も美しい青色はラピスラズリを砕いて作られた。それは深い紺色の中に、黄鉄鉱の粒子が金のように輝く。ラピスラズリは、遠くアフガニスタンから運ばれるため、大変高価であった。

そして高価なことは色の高貴さのイメージと直結し、聖母マリアのドレスは紺色で描かれる要因となった。同じようなことは東洋でもあり、ビザンチンから中国にもたらされた紫貝殻が主原料の紫は、東洋では、最上の色となっている。

西洋では青が高貴なイメージとなったため、布の染色も青色が好まれたが、ラピスラズリやアズライトのような鉱物はその用途には不向きであった。この青の染料として、中国では藍が用いられ、インドではインディゴが用いられたが、ヨーロパでは、また別の植物である大青タイセイ(細葉大青)が用いられた。そしてその大青を用いた染料が「染料パステル」である。

染料パステルとは違う物だが、パステルというと、画材として用いられるパステルが思い起こされる。それは、顔料と水性のメディウム(媒材)を練り固め四角棒状にしたものである。クレヨンもその仲間で媒材に油脂や蝋を使ったもので油性パステルともよばれる。この蝋を使ってパステルを最初に作ったのはレオナルド・ダ・ヴィンチであり、画材としては十八世紀に広く普及した。

このパステルの語は、練り固めるという意のパテから来ていて「染料パステル」も大青の葉を粉砕しペースト状にしてから発酵させるため、その名がついた

青色顔料の街・トゥールーズ

細葉大青を原料とした染料パステルは古くからフランスで生産されていたが、特に温暖なフランス南部ではさかんであった。そして、その中心がトゥールーズである。

南フランスの主要都市トゥールーズは、フランスからスペインに向かう道と、地中海から大西洋に横断する道が交差する位置にあり、古くから宿駅として発達した。中世の間はトゥールーズ伯爵の宮廷がおかれ、一四世紀にはフランスでも五指に入る規模の街となる。その後ペストにより街が縮小したが、染料パステルのため街は息を吹き返す

このパステルの生産は、トゥールーズ近郊のローラゲと呼ばれる地帯で生産されたが、一五世紀に入ってから目立って生産量と輸出量が増えた。これをトゥールーズからガロンヌ川を使って、大西洋まで運んだ。

このパステルを一大産業まで育てた大富豪の名がいくつも残っている。ユダヤ系のベルニュイ家は、広大な農園を確保し生産量を高め、スペインやイギリスへと販路を広げた。その富は、ヨーロッパ有数のものであった。

また、少し遅れて登場したピエール・ダセザは、毎年千トンものパステルを送り出した。かれは騎士の身分に叙せられ貴族の仲間入りをしている。そのはは、オテル・ダセザ(アセザ館)という華麗な邸宅により今日でもよく知られている。しかし、彼はプロテスタントだったため、何度か捕まり追放され、邸宅を含む資産を没収された。その後改宗し、膨大な保釈金を支払うことで許され、やっとその邸宅に住みことができるようになった。

しかし、大航海時代の波に乗り、インドからインディゴがやってくると、より安価なインド産インディゴが青色染料の主力となってしまう。

こうして、莫大な富をトゥールーズにもたらしたパステルの需要は急速に落ち込んでいった。青色よる栄華はわずか百年足らずで終わった。

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