『キリスト教入門の系譜』 岡本 亮輔 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第6章 善き神はなぜ残酷な世界を創ったのか ―― 苦難への彼女たちの応答(その3)
今日のところは「第6章 善き神はなぜ残酷な世界を創ったのか」の“その3”である。第6章では、“その1”で三浦綾子、“その2”で曽野綾子が取り上げられた。そしてここでは、渡辺和子が取り上げられている。それでは、読み始めよう。
受け入れるしかないこの世界 — 渡辺和子の孤独と覚醒
渡辺和子の父、渡辺錠太郎
渡辺和子の父、錠太郎は、二二六事件で暗殺された一人である。その時、娘の和子は、立てかけてあった座卓の陰にうずくまっていた。
渡辺錠太郎は、異色の経歴を持つ努力の人であった。貧しさから小学校すら出ていない身であったが、陸軍士官学校に合格し、陸軍大学を主席で卒業した。また、海外駐在が長く、膨大な読書量でも知られていた。死の五年前に陸軍大将に任じられたが、豊富な海外経験と博学に裏打ちされた非戦論を唱えていた。そのため昭和維新を目論む青年将校たちの標的になった理由である。
渡辺和子の生い立ち
渡辺和子は、父錠太郎が五三歳のときの子である。長姉とは二〇歳以上離れていて、母は出産をためらったが、錠太郎の強い希望で和子が生まれた。
錠太郎の死亡時、和子は成蹊小学校に通っていた。そして、卒業後に雙葉高等女学院に進学したが、厳格な校風に馴染めなかった。そして、キリスト教にも関心が持てなかった。主席で雙葉を卒業し、聖心女子学院専門学校に進むが、東京女子高等師範学校(現。お茶の水女子大学)に落ちたための、失意の進学だった。友達にも好かれず、学業にも挫折し、八方ふさがりであった。
そんな折、洗礼を受けようと思い立つ --- クリスチャンになれば、まともな人間に変われるのではないか。信仰心というより、変身願望に基づく洗礼だった。(抜粋)
和子は一八歳で洗礼を受けた。そしてその四ヶ月後、日本は終戦を迎える。
和子は、聖心女学院の国語科を卒業したが、学制改革で聖心女子大学となった母校の英語科に再入学し、卒業後、上智大学国際部の事務局で働き始めた。まさに時代の最先端のキャリアウーマンとして充実な日々を送った。
修道士から学長へ
しかし、三〇歳を目前に、修道院に入る決意を固める。そして、渡辺和子は吉祥寺に新設された修道院で見習い修練者となった。修道会への入会は三〇歳という年齢制限があるため、ぎりぎりの年齢での入会であった。
清貧・貞潔・服従を旨とする修道院の生活は、今までの生活と正反対であった。そして集団生活のなか、近すぎる人間関係に悩まされた。そんな中、ボストン郊外の修道院への移動が命じられる。そして、ボストン・カレッジの博士課程に通い、教育学で博士号を取得する。四年四ヶ月後に帰国すると、今度は岡山のノートルダム清心女子大で教鞭をとることを命じられる。さらに、赴任から一年もたたない間に、二代目の学長が急逝し、ローマ修道会は彼女を三代目学長に指名した。
昼は学長として重責を担い、夜、修道院に戻ると最年少というアンバランスな立場である。赴任してから日が浅く、人間関係も十分に築けてない。誰からもねぎらいの言葉もなく、孤立と後悔と自己嫌悪に沈む日が続いた。(抜粋)
そのように追い詰められていたころ、近くの教会のベルギー人宣教師から英語の短い詩を渡された。
「神様に植えられたところで、咲かなければならない」という冒頭の一節に心を射抜かれた。(抜粋)
そして、学長就任してから一年後、終生誓願をたて、残りの人生の全てを神に捧げる覚悟が決まった。
『置かれた場所で咲きなさい』
『置かれた場所で咲きなさい』は、渡辺が学長時代に学生向けに書いた文章やエッセイを元に書かれたものである。そこにまとめられた四十篇のエッセイには、「一生懸命はよいことだが、休息も必要」「母の背中を手本とする」などのテーマで、数百時の簡潔な文章と、末尾に要旨を示す標語が置かれている。本書は、簡潔な文と標語による自己啓発本のような側面があるが、そこにキリスト教の世界観を色濃く反映されている。
キリスト教では、すべてが神の計画の元にあると考え、現実を肯定することが信仰の基礎となる。渡辺もアメリカ留学の命令、予想外の学長就任、六〇代で患った膠原病や骨粗鬆症などの試練も、神が与えた試練と受けとめた。
そして、父・銃太郎の死と自らの生の意味もまた、同じ線上で捉え返される。母が出産をためらいながらも自分が生まれたのは、「三十余名の“敵”に囲まれて、力尽きた父が、ただ一人で死んでゆかないため」だと気づいたのである(『置かれた場所で咲きなさい』)。(抜粋)
『置かれた場所で咲きなさい』は、一見、凡庸な自己啓発書のようであるが、多くの苦難を乗り越えた、彼女の紡いだ人生は、決して凡庸ではない。
こうした厳しい経験に裏打ちされた信念は、「神は力に余る試練を与えない」「不平をいう前に自分から動く」といった表現で『置かれた場所で咲きなさい』にも受け継がれている。だからこそ、同書は、単なる自己啓発書には収まらない、読者を動かす力を持ちえたのである。(抜粋)
それでも、生きてゆく
最後に、本章のまとめが書かれている。
三浦綾子は、その闘病と挫折を通して回心し、作家の道を歩んだ。彼女にとって信仰とは、苦しみがあってもなお、自分の人生の意味を見出だそうとする営みであった。
曽野綾子は、人間の行動や選択の重さを正面から受け止め、「それでも人間は愛せるか」を問い続けた。彼女にとって他者を愛するとは、単なる感情の問題でなく、意思と行為の問題なのである。
渡辺和子は、九歳で父を失った体験が決定的影響を及ぼした。修道女となり教育者として道を選んだが、その日常に潜む苦しみや悩みを救い上げ、それを癒す言葉と紡ぎ出した。渡辺にの語る信仰は、派手な奇跡や感情的な回心でなく、今ここでできることを静かに続ける生活そのものである。
三人に共通するのは、キリスト教信仰を特別なものでなく、弱く、傷つき、迷いながら生きる人々の現実的な支えとして描いた点である。彼女たちは、信仰を理屈で説明するのではなく、生きる中でにじみ出るように語った。信仰とは何かを言葉で説くよりもさきに、信じながら生きることの具体的な形を示して見せたのである。(抜粋)
関連図書:渡辺和子(著)『置かれた場所で咲きなさい』、幻冬舎(幻冬舎文庫)、2017年


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