『キリスト教入門の系譜』 岡本 亮輔 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第2章 生まれ変わる聖書と日本人 ―― 占領期のキリスト教ブーム(その2)
今日のところは「第2章 生まれ変わる聖書と日本人」の“その2”である。ここでは、日本国憲法が発布される直前の総選挙で総理大臣となった片山哲が取り上げられている。彼は、生粋のクリスチャンであり、日本をキリスト教化しようとするマッカーサーにも歓迎された。しかし、実際の政治は混迷を強め早期に退陣を余儀なくされた。そして、その後の欧州視察の旅行記が『青い鳥を求めて』である。それでは読み始めよう。
クリスチャン総理の挫折 — 片山哲の青い鳥
片山の生い立ち
国家規模で聖書が配布される中、一九四七年に日本史上初めて、クリスチャンの総理が生まれた。片山哲である。
彼は、母親の影響で幼くしてクリスチャンとなった。学生時代は、積極的に講演会へ出席をした。そして、ウィリアム・ブースの講演に感動したことを後に語っている。ウィリアム・ブースはロンドンのスラム街で伝道活動をきっかけに救世軍を創立した人物である。このブースの講演は片山には神の声のように響いた。また、このときブースの通訳を務めたのが、山室軍平であるが、彼の『平民の福音』は、キリスト教入門の古典の一つとなっている。片山は東京帝国大学法科に進学するとキリスト教青年会(YMCA)の寄宿舎に入り、民本主義を唱え大正デモクラシーを導いた寮の理事長の吉野作造とも知り合いになる。
片山総理とその挫折
その後、片山は弁護士として活躍するが、政治活動にも加わるようになり、一九三〇年の総選挙で社会民衆党から初当選を果たす。戦後、日本社会党が結成されると書記長に選ばれ、それから1年後半後の総選挙で社会党が第一党になると片山は総理大臣に指名された。マッカーサーも片山がクリスチャンであることを喜び、キリスト教精神をもって「東洋のスイス」を目指すよう激励した。メディアも片山の人柄を好意的に報じ、片山自身も「キリスト教の愛と人道主義的道徳観に立つ」に基づいて日本政府を主導すると宣言した。
しかし現実の政権運営は厳しかった。日本社会党は、第一党とはいえ議席は三分の一程度にとどまり、保守政党との連立を組むが、閣内や与党内の対立が続発し、ついには補正予算案が与党内で反対され、結局、九ヵ月半後に片山はマッカーサーに総辞職を報告した。そして一九四九年の総選挙では、首相経験者で社会党委員長でありまがら、落選の憂き目にあう。
『青い鳥をもとめて』と『ショートバイブル』
落選してから四ヶ月後、片山はスイスで開かれるキリスト教の国際会議に招かれ、その後、英仏独米を視察した。その旅行記が『青い鳥を求めて』である。
片山の目に映った欧米は、進歩的で理想的だった。欧米人の心にはキリスト教が根付き、それこそが民主的な進歩の原動力だと確信した。
「青い鳥」はキリスト教に根ざす社会民主主義だと改めて思い定める(抜粋)
このように、『青い鳥を求めて』は、素朴な欧米礼賛とキリスト教礼賛のトーンが強い。
その後、エドガー・J・グッドスピードの『ショートバイブル』の監訳を務める。この本を通じても、片山は、自由と民主主義の源泉はキリスト教であると確信する。
特に私が心を惹かれたのは、二千年の昔にキリストが、聖書を通じて自由平等を説き、平和を主張し、勤労の尊重を力説し、民主々義を解説していることである。(『ショートバイブル』訳者序)(抜粋)
著者は、このような欧米やキリスト教への批判精神に欠けた片山の純粋さについて、「二〇〇〇年の昔に、自由平等や民主主義といった近代的価値観が説かれるはずがないのである」と批判している。
また、片山は『青い鳥をもとめて』で、広島・長崎の原爆投下が戦争を早く終わらせたとも述べている。
GHQのマッカーサーは、キリスト教を日本人を生まれ変わらせるための普遍的な倫理道徳として導入したため、それは、個別に教派・教会や信仰スタイルを超越した普遍的・観念的なキリスト教であった。そして、クリスチャン総理となった片山も、普遍的・観念的なキリスト教徒にならざるを得なかった。著者は片山のキリスト教や政治の姿勢について次のように総括している。
その結果として、平和や民主主義、キリスト教に対する片山の語りは、政治の現実を知るにもかかわらず、しばしば平板なものになったと言える。(抜粋)

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