「『史記』の人間学」 雑喉 潤 著
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2005-07-26)
第3章 項羽と劉邦 1.項羽、2.劉邦
有名な項羽と劉邦の話。
秦の始皇帝が亡くなった後、各地で反乱が起り、その中に項羽と劉邦がいた。
ここでは、有名な「鴻門の会」、「四面楚歌」の話のほか年代を追って記述されている。
項羽は、一度は秦をやぶり天下を取ったが、すぐに劉邦の反撃を受け最後は一人となり寂しく亡くなる。また、天下を治めた劉邦は、漢の高祖となったが、晩年は、猜疑心のが強くなっていった。
その最後は、項羽同様にさびしいものであったのだと言う。
項羽の最後は有名な四面楚歌の場面である。項羽はじょじょに劣勢になりついには漢軍に包囲されてしまった。
そのとき、まわりから聞こえたのが、懐かしい楚歌である。ここに及んで項羽は最後を悟った。
もはや勝敗の行方は明らかだった。夜起きた項羽は、愛する虞美人の酌で酒を飲んだ。そして、「力、山を抜き」の自作の詩を歌う。
「山を差し上げるくらい力は強いのだ、おれは。おれの豪気は一世を圧倒したのだ。それなのに時機はおれにくみしない。日ごろ駿馬の愛馬の騅ももう歩まない。騅の歩まないのはどうすればいいのだ。おお虞よ虞よ、いとしいお前をもうどうすればいいのだ」(抜粋)
項羽は最後は、ただ一騎となり、自害した。
漢の高祖になった劉邦の最後も別の意味で哀しい。
高祖は、呂夫人が生んだ太子が気に入らずに若い戚夫人が産んだ如意をかわりに太子にしようと考えていた。
しかし、呂夫人と張良の計略でそれができなかった。
戚夫人を呼んでいった。
「わたいは太子を替えるつもりだったが、あの四人がかばっている。翼が生えそろったようなものだ。どうにもならない。呂太后がお前の主人になってしまった」
戚夫人は泣いた。
高祖「わしのために楚の舞を舞っておくれ。わしは楚の歌を歌ってやろう」
戚夫人は広い意味で楚の人である。高祖は歌う。
「おおとりは高く飛ぶ、ひと飛びで千里をゆく 翼が立派にそなわり 四海を自由にゆく 四海を自由にゆく もうどうにもならない たとえ弓矢があっても どうすることもできない」(抜粋)
高祖死後、呂太后は如意を毒殺、戚夫人を捕らえ、手足を断ち、目をえぐり、耳を焼き切り、薬でノドをつぶし「人ブタ」と呼んで便所にうち捨てた。(抜粋)
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