『日本奇僧伝』 宮元 啓一 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
性空 – 反骨の人
今日のところ「性空」である。平安時代の浄土教の流行には「聖」と呼ばれる人々の影響が大きい。性空は、このなかで「山の聖」と称される代表格の一人である。それでは読み始めよう。
「市の聖」と「山の聖」
平安時代の中期は、浄土教の爆発的な流行によって濃く彩られているが、この爆発的な流行の大きな部分を支えたのが「聖」と呼ばれる一部の人びとである。(抜粋)
この聖のなかで、有名な空也は、もっぱら市井で念仏を広めた。世俗の権力と癒着した比叡山などを嫌った憂士たちは、空也を模範とし、山を飛び出し市井の俗人と交わり浄土教の流布に奔走した。このような人たちは「市の聖」と呼ばれた。
これに対して、里に比較的近い山岳を拠点とし、広く民衆に開かれた浄土教を推進した「山の聖」と称する人びともいた。彼らは、山岳宗教、修験道の系列を引いていて、仙人にもなりうる厳しい修行をした。そして、彼らも楊勝などの仙人には比べ物にならないものの多少の験力を発揮した。
しかし、彼らが仙人と違う点は、仙人が俗人と交わることを嫌ったのに対し、聖たちは積極的に門戸を俗人に開放したことである。だからといって世俗の権力にへつらうことはせず、超俗性を貫きながら世俗と交わりを持ち、大乗仏教の理想の菩薩行を行っていた。
ここで紹介する性空もそのような「山の聖」の一人である。
性空の生い立ちと修行
性空は、従四位橘朝臣善根の子として、延喜九年(九〇九年)、経に生まれた。母は源氏の出身である。
母は、たくさんの子を産んだがことごとく難産だったため、性空を懐妊した時、漢方より毒を求めて服した。しかし、まったく効かずに、今度はすんなりと出産する。ところがその赤子は右手を握ったまま生まれ、その手を無理やり開けると、一本の針を握っていた。
ここには、はっきり書いてないが、その針があったため、母やことごとく難産だったかな?と思った。(つくジー)
性空は、幼少のころから殺生をぜず、人と交わり騒ぐことなく、仏法を信じて、早くから出家の意思を持っていた。しかし、両親は、これを認めなかった。その後一〇歳で、法華経を習い、一七歳で元服、父を失ってから母と日向の国に下り、二十六歳で、出家し比叡山へのぼった。
その後、九州に戻り、日向の国の霧島山、筑前の国の背振山の山奥で修行する。
書写山の性空
そして、性空は、衆生を教化するため、背振山を下り、人里近い播州の書写山に庵を移す。書写山では、昼となく夜となく法華経を読誦し、老若、男女、道俗、貴賤を問わずことごとく性空に帰依した。
性空は、やがて「書写上人」と呼ばれ、誰知らぬ人いない人物となる。性空に帰依した人は、主な人で円融法王、花山法皇、和泉式部などがいた。
性空の逸話
円融法王が重い病に冒されたとき、験力があるとされる高僧の祈祷の効き目が表れなかった。そこで、験力で名高い書写山の性空に祈禱してもらおうと、一人の武士を呼び出し、たとえ性空が固辞したとしても、何としても連れてこいと命令した。
武士が書写山への途中の宿坊で宿を取っているとき、書写山の聖人が、嫌だと言って断られたとして、それを無理やり馬に乗せて引き連れて来るのもいかがなものか、と考えていた。すると、天井裏の鼠が走り、枕元に破れた紙の端切れが落ちてきた。
そしてそこには、法華経の「陀羅尼品」の、
「悩乱説法者、頭破作七分」(説法する人を悩まし苦しめると、頭が七つに砕ける)
という、ちょうどその一偈だけが書かれていた。(抜粋)
武士はとんでもないことになったと頭を抱えたが、厳命を受けているため、すごすごとそのまま書写山にのぼった。
武士が、「院の病の御祈祷のためご参上いただきたいと」伝えると、性空は「参上するのはお安い御用だが、仏にこの山を決して出ないと誓っているので、この由を仏にご報告申し上げなければならない」と言った。
聖人は仏の前に座り、鐘をたたきながら、大声でさけんだ。
「拙僧は大魔障に遭遇いたしております。助けたまえ、十羅刹」
木槵子の数珠が砕け散らんばかりに激しくもみ、額が裂けんばかりに七、八度床に打ち付け、突っ伏して泣くこと限りなかった。(抜粋)
これを見た武士は、聖人をお連れしなかったとしても、せいぜい流罪というところだが、力ずくにお連れした場合は、現世にも来世にも、善いことはないだろうと考え、退散することにした。
武士が、山からの坂を下っていると、院の召使が武士宛ての文書を奉じてのぼってくるのに出くわした。その文書には、聖人をお迎えしてはならぬ、と院の夢に徴が現れたので、速やかに戻れ、と書いてあった。
院は、武士からの報告を聞き、さらに自らの夢のことを思い合わせて、大いに恐れ抱かれた。
花山法皇は性空を訪ねて二回にわたり書写山に登っている。その二回目は、絵師を引き連れ、性空には絵師のことを言わずに、離れたところで性空を写させた。すると、山が響き、地が揺れ動いた。法皇がびっくりしている様子をみて、性空は
「これは、性空の形を写したもうがゆえに地が震うえておるのでございます」(抜粋)
と言った。これを聞いて法皇はますます性空に対する信仰心を深めた。


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