叡実 – 反骨の人
宮元 啓一 『日本奇僧伝』より

Reading Journal 2nd

『日本奇僧伝』 宮元 啓一 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

叡実 – 反骨の人

今日のところ叡実えいじつである。叡実は、権威をものともしない風情を示し、誰にでも公平に接し、気負ったところがなかった。しかし、仏教で禁じられていることを平然と行うなど、俗っぽいところもあり、その評価は『今昔物語』『大日本国法華経験記』で分かれている。それでは読み始めよう。

叡実の修行

叡実は、西の京、神明じんみょうという山寺に住んでいた僧である。幼少のときより仏教を修め、日夜に法華経を読誦どくじゅし、慈悲深い心で、苦しんでいる人を見ると放っておけない性格だった。

叡実は、初めのうちは愛宕山あたごやまに住んでいた。厳寒のときにも、ろくな衣を持っていない同僚を見つけると衣を与え自分は裸でいた。そして自分は、大きな桶に木の葉をいっぱい入れてその中で寝た。食べ物がなくなると、かまどを搔き取って何とかしのいでいた。

叡実が経を読誦する声は大変ありがたく響き、これを聞く人はみな涙を流した。そしてときおり白象びゃくぞうがやってくるのがほのかに見えることもあった。

このような修行の生活を送ったのち叡実は、神明に移り住んだのである。

叡実の逸話

叡実と藤原公季の話

閑院の太政大臣、藤原公季きんすえが、まだ従三位左中将だったころ、「おこり」に冒された。この時、あちこちの高僧に祈禱してもらうが一向に良くならなかった。

公季は、叡実がありがたい法華の持者という噂を聞き、この人に祈ってもらおうと、途中に発作が起こったが、なんとか叡実の房の軒下まで車を引き寄せた。要件を聞いた叡実は、「拙者は風邪をひいていて、本来、僧の身で食すべきではないおおひる](ニンニクの類)を食べているため、口が臭く、とてもやんごとなき人にお会いできない」いった。公季は、ここまで来たのだからと頼み込んで、結局、叡実は、祈禱することになった。

叡実は、「医者のいいつけで汚らわしい蒜を食していとはいえ、法華経は浄、不浄を問わぬものであいますゆえ」と言って、読誦を始めた。やがて読誦している叡実の目から涙があふれ出し、それが病で篤くなった公季の胸の上に落ちると、そこから急速に冷え始めた。しばらくすると、気分もよくなり公季は、かえすがえす礼をいい、来世までの縁を約束して帰路についた。

この事があってから叡実の名は世に鳴り響くようになった。

叡実と円融天皇の話

円融天皇が重い病気にかかったとき、験力げんりきのある僧たちに祈禱させたがいっこうによくならない。するとある上達部かんだちめが神明の叡実という者がいるので、この僧に祈禱してもらっては、と提案した。しかし、かの僧は、道心が深く、俗人の常識を超えているので、何か見苦しいことをしかねませぬ、という慎重な意見を述べる者もいた。天皇は、効き目さえあれば他のことはどうでもよいと、蔵人くろうどに呼びに行かせた。

蔵人が呼びに行くと、叡実は「拙僧は主家の身なので、本来は山上いたす筋ではないが、王地にいながら、宣旨に背くわけにもいかないので、参上しましょう」と言って立ち上がった。絶対に断られると思っていた蔵人は喜び、さっそく車に乗ってもらった。

ところが、東の大宮を下っていく途中に、一人の女が倒れていた。どうやら流行り病にかかっているようである。叡実は、蔵人に「今叡実が参らぬとも、尊い高僧が大勢いのだから、まずはこの病人に物を食べさせるのが先決」と言って、車を飛び降りてしまった。

叡実が、病の女のところに行って話を聞くと、流行り病にかかっているが、厄介がられてしまい、ついに道に捨てられた、と言う。叡実は、まるで父母のことのように嘆き悲しみながら女に、何か食べたいものはないか、と問うと、女はお魚をおかずにしてご飯を食べたいと、言った。

これを聞くと、叡実は下に着けている衣を脱ぎ、近くの子供に渡して、店に魚を買いにやらせ、知人のもとに、飯と湯をもらいに行かせた。そして飯と湯と干した鯛が順位できると、病人に食べさせてあげた。病人もさすがに食べたいというだけのことはあって、よく食べた。その後、病気平癒に霊験があるとされる法華経の「薬王品らくおうぼん」を読誦し聞かせてやった。

そしてようやく蔵人と共に内裏に赴いた。天皇のご前に召され、経を読誦すると、天皇にとりついていた物の怪が外に出ていき、たちまち病や直ってしまう。喜んだ天皇は、叡実にしかるべき僧綱そうごう(僧の官職)に任命しようとしたが、叡実はこれを固辞して、逃げるように退散した。

叡実と国司の話

叡実は、何があったか分からないが、鎮西に下り田畑を作らせ地主となり、資産家となった。もちろんこのように出家が富を築くことは禁じられていた。そのためその国を治めている国司が叡実を誹謗ひぼうし、その財産を没収した。

しばらくして、国司の妻が重病となる。国司の代理を務める目代もくだいが、「叡実にお願いして、法華経を読誦させてはいかだでしょうか」提案したが、国司は怒って「そのような法師を召すなどあってはならん」と言った。しかし、目代の熱心な説得に押され、最後には「おぬしの好きなよう計らえ」と同意した。

叡実が国司の前で法華経を読誦すると、護法童子があらわれ、国司の妻に取り付き、これを屏風越しに投げ出し、百回となく二百回となく打ち据えると、また屏風の中に投げ入れた。すると病気はたちまち平癒する。

国司は叡実を拝み、先の処分を深く悔い、没収した財産を全て返そうとした。しかし、どういうわけか叡実はこれを受け取らなかった

別れる叡実の評価

僧にあるまじき行状もあるため叡実の評価は『今昔物語』と『大日本法華経験記』では、別れている

『今昔物語』では、叡実の功績をたたえ、物語の最後を次のようにして終っている

「持経者叡実は、いよいよ臨終を迎えるに当たり、あらかじめそのことを察知して浄らかな場所に籠り、断食し、法華経を読誦して、合掌しながら入滅した。およそ、経文を見ずに、法華経を暗唱で読誦することは、この叡実を始めとすると語り伝えられている」(抜粋)

しかし、『大日本法華経験記』では、作者の注とし、次のように書かれている。

「ある人によれば、叡実は、最後には悪縁に遭遇してよからぬがんおこした、云々という。また別の人によれば、よからぬ心を起こしたことはまったくない、最初はよからぬ心を起こしたように見えるけれども、後には、発露懺悔はつろざんげして(みずからの過ちを洗いざらい告白して)、深く道心を発し、法華経を読誦しながら入滅した、云々という」(抜粋)

このように『大日本法華経験記』の作者は、僧にあるまじき振舞に及んだ叡実を高く評価することはなかった。


関連図書:池上洵一編『今昔物語集』(全4巻)、岩波書店(岩波文庫)、2001年

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