三国志の美将たち — 『三国志』から『三国志演義』へ
井波 律子『三国志曼荼羅』より

Reading Journal 2nd

『三国志曼荼羅』 井波 律子 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

三国志の美将たち — 『三国志』から『三国志演義』へ

『三国志曼荼羅』、最後の章は「三国志の美将たち」である。ここでは、三国志世界で美将と歌われる呂布りょふ馬超ばちょう周瑜しゅうゆを中心とした美将たちの描かれ方を正史『三国志』及び『三国志演義』を比較しながら考察している。それではラストスパート。

呂布

正史『三国志』では、呂布について「呂布は馬術にすぐれ、抜群の腕力を有していたため、『飛将』と呼ばれた」と書かれている。しかし、その容貌に関する言及は一切ない。

それに対して『三国志演義』では、「人になかに呂布あり、馬のなかに赤兎馬せきとばあり」とたたえ、直接容貌への言及はないが、その並々ならぬ美将ぶりを浮き彫りにしている。

この正史には見られない美将伝説のルーツは、正史「呂布伝」の中にある「呂布は董卓の侍女と密通しそのことが露見するのをおそれて、内心おちつかなかった」という記述にあるのではないかと、著者は指摘している。この侍女のイメージが後に『演義』世界で董卓と呂布を操り、呂布に董卓を殺害させる美女貂蝉ちょうせんの原形となっている。つまり、正史に書かれている、女性との絡みの記述が、呂布の美将伝説の種となっていることが推測される。

馬超

馬超は、『三国志演義』では、剛勇無双に加え、「錦の馬超」と呼ばれる容貌の持ち主とされた。

馬超は、父馬騰ばとうを殺した曹操へ報復を期して叛旗をひるがえした。そして、馬超の猛攻をうけ追い詰められた曹操は、「馬超の剛勇は呂布に劣るまい」と感嘆した。

この言葉から明らかなように、『演義』世界では、呂布と馬超は剛勇無双の美将という点で明らかに共通するキャラクターとして扱われている。(抜粋)

しかし、正史『三国志』の「馬超伝」には、容貌に関する言及はない。ただ、裴松之の注に引く『典略てんりゃく』に父馬騰の堂々たる風貌に関する記述があり、これがいつしか馬超に転化されたのかもしれない。

『演義』世界で、曹操は基本的に敵役・憎まれ役であり、この曹操をきりきり舞いさせた呂布と馬超のイメージが美化され、剛勇無双の美将と化したのであろう。(抜粋)

周瑜

呂布、馬超と違い周瑜は、正史『三国志』にも「周瑜は成人するとともに立派な風采をそなえた」と書かれ、美将であったことは紛れもない「史実」である。

周瑜は『演義』において諸葛亮のライバルとして、ほとんど道化のような損な役回りを演じているが、それでも「眉目秀麗」な人物として記述されている。周瑜が美将と描かれているのは、これも「赤壁の戦い」で、敵役曹操を大撃破した功績を無視できないからであろうと考えられる。

周瑜は、眉目秀麗な軍事家であるのみならず、「曲に誤りあり、周郎しゅうろう顧みる」と称されるほど音楽センスが良かった。また、彼の妻は美人姉妹二喬にきょう妹であった(姉は孫策の妻)。

呂布・馬超・周瑜の他に『演義』世界で容貌を讃えられるのは、江東の覇者、呉の孫策そんさく、劉備の軍師諸葛亮、さらに天水てんすいの美将」と異名をとる姜維きょういある。

こうしてみると『演義』世界でめだって端麗な容貌を称えられる猛将や軍師たちのなかに、敵役である魏の曹操側の者は皆無であり、すべて曹操と対立した群雄および呉・蜀側の者だということになる。(抜粋)

初出掲載誌:「本の話」二〇〇四年十一月、文藝春秋


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