『日本奇僧伝』 宮元 啓一 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
東聖 – 隠逸の人
今日のところは、「東聖」である。東聖は、名も故郷も形跡などの名跡を徹底的に断つという希有なことをやり遂げた聖である。そして、最期はみずからに火をつけ没している。それでは、読み始めよう。
名跡を完全に断った東聖
前回の平等や桃水のように乞食まで身を落としても、結局は弟子などに発見され、その遺骸は、誰のものかということが分かってしまっている。名跡を完全に断つというのは至難の業である。
ここでは、この至難の業を成し遂げた人として東聖が紹介されている。彼は、みずから在俗時の名前を語ることはなく、故郷も誰も知らなかった。ただ東の方に住んでいるからということで東聖と呼ばれていた。いつも山中に起居し、草の庵を閉ざし、およそ蓄えというものを持っていなかった。
あるとき東聖は、自分の死期をあらかじめ察知した。そこで、深山に分け入り、柴を積んでみうずから火をつけた。そのとき、和歌を作って火打箱に書きつけ、また、みずからの荼毘の模様を記した。数日の後、たまたま山に入る人がいて、はじめてこれを見たという。(抜粋)
この逸話が載っている『扶桑隠逸伝』には、作者元政上人による賛が載っている。
「賛に曰く。甚しいかな。東聖が跡を没すること。其の姓名を没し、其の郷里を没し、其の形影を没し、あまつさえ其の死を没す。ああ、東聖が如きは、鬼神も伺い視ること能わじ」(抜粋)
慶寛と焼身上人
この東聖の逸話とよく似た逸話が『拾遺往生伝』に収録されている。
名前も不明のとある上人が、阿弥陀の峰の裾あたりにおいて、みずから身を焼いて入滅した。そしてこれを崇め尊ぶ貴賤男女、結縁を願う人びとが、その場に群がった。
そのころ、慶寛という沙門は、京の北山で西方極楽浄土に憧れ、施無畏寺において常行三昧(念仏三昧)にふけっていたが、そのうちうとうとし夢を見た。
はるか西方から、妙なる楽の音が流れてくるかと思うや、ある人がこう告げた。お前はこの楽が何のためのものであるか知っているか。これは、今日、阿弥陀の峰において、焼身上人が來迎するための儀式の楽なのである、云々、と。(抜粋)
はっと目がさめ、窓を開けると、遠くの峰から煙が上がり、五色の雲が西の空にたなびいていた。これがまさにかの上人が身を焼いた時である。
焼身供養というもの
焼身供養は、もともと法華経の「薬王菩薩本事品」に、一切衆生喜見菩薩が、身を焼いて諸仏への供養としたのが、始まりで、これこそが最高の供養とされた。日本では、熊野の那智山の沙門応照が昇進供養を行った最初の人とされる。その他にも越後の国の鍬取上人、摂津の国の忍頂寺の大法師源因などの話が伝わっている。
また、焼身供養には、全身ではなく体の一部に火を点すというやり方もある。代表的なのは、指に脂を塗って火を点すというものと、臂の上で香を焼くというものである。空也上人にも肘の上で香を焼いた逸話がつたっている(ココ参照)。

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