毛晋 / 余懐 / 柳如是 — 明末清初(後半)
井波 律子 『奇人と異才の中国史』より

Reading Journal 2nd

『奇人と異才の中国史』 井波 律子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

III 近代への跳躍 1 王朝交替期を行きぬく— 明末清初 (後半)

今日のところは「1 王朝交替期を行きぬく—- 明末清初」の”後半“である。ここでは、毛晋、余懐、柳如是についてまとめるとする。それでは読み始めよう。

毛扆(蔵書家・出版家)

毛晋もうしんあざな子晋ししんは、蔵書家・出版家として知られる。彼は、江蘇省常熟じょうじゅく県の素封家の家に生まれ、同郷の大文学者銭謙益せんけんえきに師事し学問に励んだが、科挙には合格しなかった。そのため、郷里で宋本(宋代の書籍)を中心に収集に専念した。

収集にあたり、毛晋は自邸の前に「宋本を持ってくれば一頁につき二百金を支払う。… それ以外の善本をもってきた場合は、他家が千金を出すなら、うちでは千二百金出す」と張り紙をしたため、各地から古書を扱う業者が殺到した。(抜粋)

そうして集めた蔵書は最終的には、八万四千冊以上におよんだ。そしてその蔵書を『汲古閣きゅうこかく』、『目耕楼もっこうろう』と名づけた書庫に入れ、整理・分類した。そして、蔵書の中から善本を選び、校訂の後、出版した。この校訂には、毛晋や書誌学に精通した五男の毛扆もういの他、文献に詳しい学者を招聘してあたった。こうして毛晋、毛扆父子が刊行した書籍は合計五百八十七種にのぼり、これらは「汲古閣本」あるいは「毛本」と呼ばれ、現在に至るまで、良質のテキストとして広く劉注している。

このような出版活動は、空前絶後のことであったが、一回の出版部数はせいぜい二、三百部で、かけた元手を回収することは不可能であった。毛家は孫の代には没落し、汲古閣の蔵書もあっという間に散佚した。今に伝わる毛扆編『汲古閣珍蔵秘本書目きゅうこかくちんぞうひほんしょもく』によってその蔵書の核心をうかがい知ることができる。

余懐(詩人)

余懐よかいあざな澹心たんしんは、著名な詩人であり、随筆集『板橋雑記はんきょうざっき』の著者である。彼は裕福な豪商の子として南京に生まれ、伝統的な教養をマスターし早くから詩人として名をあげた。戯曲家の李漁りぎょをはじめ文人とも親しく交流し、花柳界にも足しげく通った。

科挙には二十七歳の時に落第し、その後受験した形跡はない。科挙の落第以外はのびやかに快楽を尽くした余懐であったが、明が滅亡し清が江南に進撃を開始した時点で激変する。彼は南京の福王をいだいた亡命政府に参加するも、福王政権は瓦解し、清王朝が全土を支配する。

清が全土を支配しても余懐は、詩をつくり悠然たる生活を続けた。今に残る余懐の『板橋雑記』は、南京の花柳界で一世を風靡した名妓や芸人(講釈師・楽師・幇間ほうかん等)を列伝形式で描いたものである。

ここでは、一場の夢と消えた花柳の巷秦淮と、滅び去った明という時代がみごとに二重化されている。(抜粋)

そして余懐は、遺民生活を続けること五十余年、八十歳の長寿を保った。

柳如是(文人)

柳如是りゅうのぜは、明末清初に活躍した妓女出身の女性文人である。彼女は名妓として名を馳せた。当時政治腐敗を糾弾する知識人グループ「復社ふくしゃ」や「幾社きしゃ」が結成されていたが、柳如是は、「幾社」のリーダー格陳子龍ちんしりゅうと恋に落ち、二年間同棲生活を送った。彼女は「幾社」への会合にも出席し政治的に先鋭化していく。しかし陳子龍とは、正妻の存在もあり彼女自ら別れを告げている。

陳子龍との離別後、妓籍を離脱し、自作の書画で生計を立てながら、各地を遍歴した。その間、好んで男装をし、剣術も学んだ。そして、二十三歳のとき、在野の大政治家、銭謙益せんけんえきと出会う。翌年正式に銭家に迎え入れられ、銭家の女主人のような立場となった。

しかし柳如是の人生も激動の時代の荒波に飲まれる。清が江南に進撃するさい、銭謙益は福王の亡命政府に参加するが、福王政権は機能せず、清が全土を統一した。そして銭謙益は、清王朝の官僚となるが数ヵ月で辞任する。

そして銭謙益が反清運動に加わると柳如是も積極的に協力する。しかし反清運動も挫折が続き、銭謙益もなくなってしまう。そして柳如是は、銭謙益の遺産に目をつけた親類に無理難題をふっかけられ、あくどい親類を告発するように遺言し、縊死いしして果てた。四十七歳の時であった。


関連図書:余懐(著)『板橋雑記』、平凡社(東洋文庫)、1964年

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