理満 – 隠逸の人
宮元 啓一 『日本奇僧伝』より

Reading Journal 2nd

『日本奇僧伝』 宮元 啓一 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

理満 – 隠逸の人

今日のところは、理満りまんである。理満は、自らの愛欲を遮断するため不発ふはつの薬を服用し、愛欲を絶った。そして、その後、流浪し各地で法華経の読誦を続けながら、利他の行を積んだ。それでは、読み始めよう。

渡し場に集まる隠遁の士

ここで紹介する理満や先に取り挙げた玄賓げんぴん、そして次の項で取り上げる千観せんかんなど世間の人のためになることをしようと思う隠遁の士は、渡し場に集まってくる。著者はその理由を次のように考察している。

  1. 渡し場は、とにかく人が集まるところである。昔の人にとって川を渡ることは大変厄介なことであり、そのためそこでの勤労奉仕は大変助かることであった。
  2. 渡し場は、仏教用語にす」を連想させる。この「渡す」は、迷いと苦しみの此岸しがんから寂静じゃくじょう彼岸ひがんまで衆生しゅじょうを「渡す」ことである。渡し場も、こちらの岸からあちらの岸に人を渡すことであり、人を渡したい(救いたい)と考えた隠遁の士が渡し場を好んだのは、このような連想が働いたから考えてもようのではないか。

理満の利他行

理満は河内の人であるが、その実態は不明である。理満は仙人の項で取り上げた日蔵の弟子である。

彼は日蔵のもと献身的に師事し、仏道の修行をしたが、煩悩を絶つことに至らなかった。そして理満は、愛欲の遮断するために「不発ふはつの薬(精力減退剤)」を服用したいものだと考えた。そして日蔵はこれを了承しその薬を求めて理満に服用させた。すると女人を思う心が、完全になくなる。

その後、理満は、法華経をひたすら読誦するとともに、居処を定めず流浪の生活を送りながら修行にはげんだ。あるときは、大江おおえに舟をしつらえて、渡し守になり、またあるときは京に上り悲田院ひでんいんに収容されている病人たちを慰問し利他の行を積んだ。

理満の験力

こうした長年の修行の末、理満は数々の験力げんりきを発揮したけれど、人前でこれを見せることはなく、また、そのことを人に語ることはなかった。(抜粋)

理満は京の篤志家の小屋に宿って、一、二年間、法華経の読誦に専念していたことがあった。あるとき主人は、理満の読経の様子を見ようと覗き見たことがあった。

理満は、経を読むための机を前に、法華経の巻物を手にしてこれを読誦していたところが、一巻を読誦し終わってそれを机の上に置き、次の巻を手に取って読誦し始めると、すでに読誦した前の巻がみずから一尺ばかり躍り上がり、勝手にくるくると巻き返ってから、また机の上に舞い戻るのである。(抜粋)

これを見た主人は、びっくり仰天し理満に、「このような稀有なことでございます、聖人はただのお方ではござらなかったのでございましたか」と言った。すると理満は「これは拙僧が意図して起こしたことではなく、現実のことではなく、幻のなせる業である。ゆめゆめ、他の人にこのことを告げてはなりません」と言った。主人は理満のことばに恐れ入り、理満の生前はこの話を誰にも語らなかった。

このように験力を他の人に見せびらかさない行動について、著者は、それは釈尊が、験力をみだりに在俗の人に添えを見せびらかすことを禁じたことを理満が守ったのだと言っている。

理満の最期

理満はもし法華経の威力によって極楽に生まれることが出来るならば、釈尊が入滅した二月十五日に、この娑婆の世界と別れたいものだと語っていた。そして最期の時には、さすがの理萬もしょうしょう病にかかり、二月十五日に法華経を唱えながら入滅した。

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