[再掲載] 「感情の問題」
高橋哲哉「靖国問題」より

Reading Journal 1st

「靖国問題」 高橋哲哉 著
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2005-06-13)

第一章 感情の問題ー追悼と顕彰のあいだ

この章では、戦前戦中における靖国神社の役割、機能について述べられている。

内容は「はじめに」の中で筆者自身の要約がある。それを引用すると、

第一章の「感情の問題」では、靖国神社が「感情の錬金術」によって戦士の悲哀を幸福に転化していく装置にほかならないこと、戦死者の「追悼」でなく「顕彰」こそがその本質的役割であること、などを論じる。(抜粋)

(ちなみに 「顕彰」とは辞書によると「功績が有ることを認め、その業績のあらましを一般の人に周知せしめること」である。)

この章は、激しい遺族感情からはじまっている、「首相参拝の違憲確認、差止め」を求める裁判において靖国神社側の弁明を行った岩井益子の陳述書からの引用がある。

この意見陳述は2002月に行われたものだから戦後60年あまりたっても、遺族感情にはすさまじいものがあるようだ。

では、なぜ遺族の靖国神社への思いがそこまで激しいものなのであろうか?
その答えを、筆者は戦前に行われた「靖国神社臨時大祭」の風景から説き起こす。
日清戦争以後、戦死者を「神」として合祀するために、大きな「臨時大祭」が行われた。
大祭には、天皇ご自身も出席され、英霊を顕彰するわけである。
そして、そこには国費で招待された遺族の姿があった。遺族は、口々に「ありがたい」のような言葉を残しているのだそうだ、もちろん肉親を失った悲しみは大きいのだろう。筆者は言う

その悲しみが国家的儀式を経ることによって、一転して喜びに転化してしまうのだ。悲しみから喜びへ。不幸から幸福へ。まるで錬金術によるかのように「遺族感情が一八〇度逆のものに変わってしまうのである。(抜粋)

ようするに靖国神社の機能は、戦死者を顕彰することにより、遺族やその他国民の感情を負から正へ転換させることであるとの意見であるようだ。

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