『ファンタジーに秘められた宗教』 中村 圭志 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第③回 『ムーミン』 孤独な小さき者たち(後半)
今日のところは第③回 「『ムーミン』 孤独な小さき者たち」の”後半“である。”前半“では、ムーミンシリーズの概略とトーベ・ヤンソンの人生、さらにヤンソンのスクルット(居場所のなさを抱えた小さき者)」と呼ぶ人たちとの関係やその理想郷としてのムーミン谷について解説された。今日のところ”後半“ではヤンソンの仕事について、ムーミン以前の『ガルム』誌に掲載された風刺画、ムーミンシリーズの前半の四冊、さらに後半の四冊に分けてその世界を解説している。そして、最後にムーミンシリーズにやどるスピリチュアルリティーを説きあかしている。それでは読み始めよう。
トーベ・ヤンソンの出発点、『ガルム』の風刺画
若いころのトーベの主な業績は、政治風刺誌『ガルム』に掲載された風刺画(カリカルチュア)です。(抜粋)
トーベは、この風刺画で風俗を漫画風に描いたり、政治家の似顔絵を書いたりして、完全に一家をなしていた。その中には、スターリンやヒトラーなどをコケにした絵もあり、反骨精神にみなぎっている。
この雑誌の名前のガルムは、北欧神話の冥府の番犬の名前である。このガルムは黒い犬として時折絵の中に描かれ、雑誌のトレードマークとなっている。
このガルムは、北欧神話では神々の敵となっている。当時ナチスは、原ヨーロッパ人と想定される原初のアーリア人を優秀人種と認定し、アーリア系の神話を受け継ぐ古代ゲルマンの神話を称賛していた。このゲルマン系の神話の北欧版が北欧神話である。そのため、北欧神話の神々は、親ナチスや人種差別主義の象徴のように見られていた。
リベラル中道を擁護する政治風刺誌としては、むしろ神々に盾突く存在のほうが象徴としてふさわしかったはずです。そのようなわけで、神々に抗するこの冥府の番犬が雑誌の名称およびシンボルとして選ばれたのだと思われます。(抜粋)
洪水と彗星のイメージ:ムーミンシリーズ前半の四冊
ムーミントロールが登場する最初の作品は『小さなトロールと大きな洪水』(一九四五年)である。ただし、この作品は、後の作品と異質なところがあるので、他の八冊とは別に扱われる。
そして、シリーズ前半の四冊は、一九四〇年~一九四五年代に書かれている。ここで注目されるのは、最初期の『小さなトロールと大きな洪水』を含めて洪水や彗星(隕石)の衝突という危機的ビジョンへのこだわりがあることである。
この洪水や彗星衝突の危機は、ソ連やナチスなどによるフィンランドの危機的な記憶と密接に結びついている。彗星の衝突の爆発は、戦後もなお原水爆の危機感が続いていることが影響している。
内省的な小説への変貌:ムーミンシリーズ後半の四冊
ムーミンシリーズの後半4冊は、前半の作品と違い、とても内面的、内相的な大人向けの小説となっている。
この変貌の一つのきっかけとなったのは、トーベが四〇代のときに、トゥーリッキ・ピエティラという生涯のパートナーを見出したことである。彼女は『ムーミン谷の冬』において「おしゃまさん(原名トゥーティッキ)」というキャラクターとして登場している。
『ムーミン谷の冬』は、冬眠から目覚めてしまったムーミントロールが、夏とは全く異なる世界を発見するという物語である。
ムーミントロールはママやパパから離れて自立したばかりでなく、世界の別の現実に目覚めたのです。(抜粋)
そして、その時アドバイスを与えたのが、おしゃまさんです。
著者は、この作品の変化は、作者自身がフィンランドという国の風土性に目覚め全体的な姿に目を向けたことが反映されていると指摘している。そして、その自らに欠けていた視点を与えてくれたのが恋人である。
『ムーミン』のスピリチュアリティ
最後に『ムーミン』の中の宗教性、スピリチュアリティを考えてみたいと思います。(抜粋)
ムーミンはスクルット(居場所のなさを抱えた小さき者)(ココ参照)達が、本音をさらけ出し、おきには辛辣な言葉を吐きながら、共に暮らす聖域を描く物語である。多くの宗教では、世間から顧みられない人たちへの救済を説いて、キリスト教では、飢える者、病人、監獄に入れられた者などの社会的弱者「小さき者」たちに親切にすることが教えられている。
この「小さき者」にビジョンは、スクルットの淵源であり、そこに宗教的なものが生きている。
また、北欧は独立独歩で、「自由」重んじる気風がある。トーベも弟と論争して“SNORK”と書いたと同じ壁に一四世紀のスウェーデンの司教の「自由は最高のことなり」という歌の一節を書き着けている(”前半“参照)。
トーベ・ヤンソンは自らのスクルット的な生き方を通じて、この「自由」に欠かせぬ寛容性と包容力の意味を探り、『ムーミン』というファンタジーへと結晶化させたのだ ---- そんな解釈も可能だろうと思うのです。(抜粋)
ここで著者は宗教の光と影ということについて言及している。宗教は古代社会の偏見や差別、呪術的信念をそのまま因襲として残してきた。弱者への慈善という理想を掲げるも、厳しい差別制度との共存していた。
これが、近代を迎え、古い社会体制を見直すことになって、はじめて民族差別、階級差別、性差別が「小さな者」への迫害である認識された。
宗教には常に光と影があり、救済と差別の間に緊張関係があり続けています。(抜粋)
キリストは、宗教的な人々が貧者や病者を差別していたことを批判し、親鸞が「善人よりも悪人の方が救済にふさわしい」と説いた背景には、同時代の宗教修行者の、社会を顧みない自己満足的な姿勢への批判があったとされている。このようにかつての偉人は宗教の持つ光と影の両方を見るということを行ってきた。
キリストや親鸞の事例のように、宗教自体が宗教の因襲性を批判するという契機があった。その批判を現代人に分かる物語を通じて、いっそう見えやすい形で提示しているのが、宗教性を宿したファンタジーなのです。(抜粋)
関連図書:トーベ・ヤンソン(著)『ムーミン全集[新版]全9巻』講談社、2020年


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