『フランス 26の街の物語』 池上 英洋 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
Chapter 4 世界遺産を歩く / 最後の授業 — Strasbourg(ストラスブール)
最後の授業と普仏戦争
この章は、アルフォンス・ドーデ『最後の授業』のワンシーンから始まる。普仏戦争でプロイセンに占領された地域の学校では、ドイツ語以外を教えてはいけないことになり、今日のフランス語の授業が最後になると、先生が生徒に伝える場面である。
一八七〇年にフランスとプロイセンとの戦争(普仏戦争)が始まった。この戦争は、スペインのクーデターによる影響とプロイセンのビスマルクの策略とが絡み合い始まるのだが、フランスはプロイセンに歯が立たず、ナポレオン三世は捕虜となり、第二帝政が終了し、フランスは第三共和制へと移行した。
この時、ドイツが要求したのがアルザス=ロレーヌ地方の割譲だった。一度フランスはこれを拒否したがすぐに戦闘が開始されパリを包囲されてしまう。結局、休戦協定に調印しアルザス=ロレーヌ地方はドイツに併合される。
ニーム出身の小説家アルフォンス・ドーデは、条約締結後ほどなく『最後の授業』をフランスの新聞に発表した。
この有名な小説は、日本でも昭和二年(一九二七年)から小学校の教科書に採用されていた。しかし、一九八四年を最後に不採用となってしまう。この不採用は、もともと母語ではなく統治者の公用語を学校教育に強制するという話の内容が日本の戦時の政策と被るという理由が一つである。そして、もう一つの理由は、ドーデがこの事件を一方向からしか見ずに書いたことが指摘されたことである。
まさにアルザス=ロレーヌ地方が辿った歴史の複雑さを示している。(抜粋)
アルザス=ロレーヌ地方の複雑な歴史
アルザス=ロレーヌ地方の主要都市であるストラスブールの名は、街道の街という意味である。その名の通りイル川がライン川と合流する地点にあり、ローマ街道も通じる交通の要衝である。その重要性から紀元前一世紀にローマが駐屯地を置き港を設けた。街の東側のライン川は、ローマ帝国とゲルマニア(ゲルマン人の地)の境界線であり現在もフランスとドイツの国境である。
この地理的条件のため、この街は何度も領有争いの対象となる。そして、一〇世紀の終わりに教会がおさめる司教都市となり、その一五〇年後に市民が司教を打倒して自治都市となり、街は大いに発展した。
しかし、絶対王政の時代、フランスルイ一四世がアルザス=ロレーヌ地方を手に入れると、それまでシュトラースブルクと呼ばれていた街は、フランス語読みでストラスブールと呼ばれるようになる。そしてその二世紀後に、普仏戦争によりまた統治者が交代する。
さらにその交代劇は、第一次世界大戦でまたフランスに帰属し、第二次世界大戦中はまたドイツの支配下にはいるが、戦後またフランスへ側に戻り現在に至っている。
『最後の授業』での言語の問題
ドーデが一方向から見ていないと批判されるのは、上述したような複雑な交代劇のうち一度だけを切り抜いて、ずっとフランス側にあったものがドイツ側に占領されたと印象を与えることがその一つの理由である。(抜粋)
この地方の言語の複雑な背景をドーデが無視した点で、この小説はたしかに実態を把握していない。
小説のなかで主人公が、「やっと書けるくらいになったのに」とフランス語の不勉強を反省する場面があるが、それは、この地方の言語がドジン語というむしろドイツ語に近いものだったからで、フランス語でさえ彼らにとっては占領者がもたらした言語であった。
関連図書:
アルフォンス・ドーデ(著)『最後の授業』、偕成社(偕成社文庫)、1993年
アルフォンス・ドーデ(著)『月曜物語』、岩波書店(岩波文庫)、1959年


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