『三国志曼荼羅』 井波 律子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第三部 — 民衆世界の三国志(その2)
今日のところは、「民衆世界の三国志」“その2”である。『民衆世界の三国志』では、正史『三国志』から『三国志演義』までの、千年間の三国志物語の変遷を追っている。
前回“その1”では、民衆世界の三国志の形跡が初めて現れた晩唐の九世紀中旬から始まり、十一世紀の北宋時代に流行した『三文説』の話まであった。これらの形跡により当時から民衆世界での三国志があり流行していたことは分かるが、その話の内容は、すでに失われている。
そして、今日のところ”その2“では、現存する最古の三国志物語のテキスト『三国志平話』と元時代の演劇である「元曲」における三国志物語が取り上げられている。それでは、読み始めよう。
最古の三国志物語のテキスト 『三国志平話』
民衆世界の三国志物語の様相を知る手掛かりとして十四世紀初め元時代の『新全相三国志平話』がある。これは三国志物語を文字化したもので現存する最古のテキストである。この「全相」とは「全ページ絵入り」という意味で、上段が絵、下段が文章という体裁になっている。そして「平話」は、「講話」、講釈を加えた話という説、「白話(口語)」の意味という説などがある。
この『新全相三国志平話』は、講釈師のレジュメを編集したものと考えられていて、表記の仕方が雑で、内容も史実を無視した荒唐無稽な様子が多い。これは、『三国志演義』でみられる史実との整合性とは雲泥の差である。
ただ、『平話』には、実際の寄席で演じられた語り物の雰囲気が濃厚に漂っており、民衆世界の三国志物語の様相を彷彿とさせるものがある。(抜粋)
『三国志平話』のプロローグ・入話
『平話』の冒頭には、英雄転生譚のかたちをとる「入話(まくら)」が置かれている。
北宋以来の語り物の冒頭には、前置として「入話」が付く。なんらかの意味で本題と関連する話で、もともとは聴衆がそろい、ざわついた雰囲気がおさまるのをまつ説話人(講釈師)のテクニックだった。しかし同時に聴衆を物語世界へ誘う仕掛けとしても作用した。
『平話』の入話は、冥界(冥土)の裁判の話である。裁判官は書生の司馬仲相、被告は漢の高祖劉邦と妻の呂后、原告が二人の陰謀により非業の死を遂げた功臣の韓信、彭越、英布の三人、そして証人が知恵者の蒯通である。そして裁判の結果、韓信を曹操に、彭越を劉備に、英布を孫権に生まれ変わらせ前世の悲運の補いとし、高祖を後漢の献帝に呂后をその妻伏后に生まれ変わらせ曹操に迫られ献帝に伏后を殺させるというかたちで、前世の罪ほろぼしをさせた。さらに証人の蒯通は諸葛亮に生まれ変わらせた。この裁判の判決を評価した天帝は、裁判官の司馬仲相を司馬懿・晋王朝の始祖武帝に生まれ変わらせる。
こうして『平話』の三国志世界は、非運に泣いた前漢の英雄の復讐劇として、幕が開くことになる。(抜粋)
この『平話』冒頭に置かれた三国志転生譚は、羅漢中の『三国志演義』では、すっぱりカットしてある。しかし、別系統の「平話」シリーズの『新編 五代史平話』の冒頭にも、ほぼ同じものがある。さらに、この話が広がり一篇の短編小説となる。一七世紀明末、馮夢龍[ふうぼうりゅう]が編纂した短編小説集『三言』の「陰司を鬨がせ、司馬貌 獄を断くこと」(「古今小説」第三十一巻))である。さらに十九世紀末の清代になると『新刻三国因』という中編小説まで現れた。
ここに出てくる韓信は、「韓信の股くぐり」、「背水の陣」「狡兎死して良狗亨られ、高鳥尽きて良弓蔵われ、敵国破て謀臣亡ぶ」などの故事で有名な人ですね。最初の故事は、若き頃、次のは活躍したとき、最後のはここで触れられている裏切られた最期の時ですね♬
このあたりは、井波 律子の『故事成句でたどる楽しい中国史』に書いてありますね。ココとココをご参照ください(つくジー)
『三国志平話』のエピローグ
『平話』のエピローグはプロローグの復讐劇と呼応して、奇想天外な復讐劇が後日談として置かれている。
そこには、司馬懿の子孫が、魏・呉を滅ぼし天下を統一したとき、劉備の外孫劉淵は北方に逃れ、自立して漢王朝を復興し、劉淵の死後、息子の劉聡が西晋王朝を滅ぼし、父祖の復讐を遂げたと書かれている。
確かに四世紀初め、劉淵・劉聡の親子が北方に依拠して漢王朝を立て、西晋王朝を滅ぼしたが、彼らは北方異民族の匈奴族であり劉備とは全くかかわりがない。
『平話』はこの劉淵父子を劉備の子孫にしたて、彼らが魏の系統を引く晋を滅ぼし復讐を遂げたという筋書きにより、大団円のかたちで物語を終わらせるのである。(抜粋)
このように『平話』は復讐劇に始まり復讐劇で終わる。これは史実など無視し、エンターテインメントとして三国志物語を浮かび上がらせようとする講釈師のテクニックそのままである。
そして『三国志演義』では、『平話』のプロローグもエピローグもすっかりカットして、『平話』の物語構造自体の付随する語りの要素を払拭したのである。
『平話』で大暴れする張飛
この『平話』の世界でも、劉備、関羽、張飛の義兄弟の動きが中心となっている。なかでも爆発的なエネルギーを発散させる張飛の活躍が目覚ましい。あらゆることで発表破れの大暴れを演じ、『平話』の本当の主人公は張飛といっても良い。ここ著者は、そのような張飛のイメージが良く表れている「督郵殺害事件」を紹介している。しかし、血なまぐさい場面でも、陽気で騒々しいパーレスク(おどけ芝居)の要素が強い。張飛の容顔についても「豹頭環眼(豹のような頭にドングリ眼)」、「燕頷虎鬚(ツバメのようにあごにトラヒゲ)」(『平話』)と喜劇的である。
この教養がなく暴れん坊の張飛のキャラクターは、盛り場や芝居小屋に足を運ぶ人々に最も愛されるキャラクターだった。それは『水滸伝』の国旋風李逵と同質のキャラクターである。
元曲における三国志物語
『三国志平話』が生まれた元の時代には、歌とセリフからなる元曲と呼ばれる芝居も盛んにおこなわれていた。この元曲は、一種の歌劇だが、ふつうは主人公しか歌わず、他の人はセリフだけである。この元曲には知られているだけで二十以上の三国志物語がある。
この元曲の三国志物語でも、『平話』と同じく最も精彩を放つのは張飛である。しかし元曲は『平話』より格段に女性の出番が多い作品が存在する。董卓とその養子呂布の間を裂いた美女貂蝉が登場する「錦雲堂美女連環記」や、孫権の妹で劉備の後妻となった孫夫人が登場する「両軍師 江を隔てて智を闘わす」などである。
この元曲での女性の活躍に対して、著者は次のように言っている。
元曲の三国志において女性が活躍するのは、やはり視覚に訴えかける演劇のジャンルなればこその現象であろう。(抜粋)
関連図書:井波 律子(著)『故事成句でたどる楽しい中国史』、岩波書店(岩波ジュニア新書)、2004年
初出掲載誌:(小松健一著『三国志の風景』解説、九五年九月、岩波新書)

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