『フランス 26の街の物語』 池上 英洋 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
後記にかえて 大きなものと小さなもの — Chartres(シャルトル)
今日のところは最終話、「後記にかえて 大きなものと小さなもの — Chartres(シャルトル)」である。
大きいものとしての「シャルトル大聖堂」
フランスゴシック建築の代表するシャルトル大聖堂は、双塔の形が左右で異なる特徴的な形をしている。その理由は左右で建設された時代が異なるからである。
この教会の歴史はフランスの教会の中でも際立って古く、もともとはドルイド僧の聖域だった。またこの地の聖母信仰は古く、六世紀ごろには聖母に捧げれ祭壇があり、マリアが着ていた衣とされえる聖遺物が寄進された九世紀には巡礼地となっていた。
この教会は、その歴史のなかで何度も火災や攻撃を受けた。特に八五八年のノルマン人の侵攻時には多くのキリスト教徒が殺された。
このように何度も火災などの被害を受け補修や拡張を経ているため、長さ二二〇メートルとフランス最大サイズのクリプタは、一一世紀、フランス最大規模のステンドグラスは一二世紀~一三世紀、緑色の屋根は一九世紀と様々な時代のものが同居している。
これほど巨大なモニュメントが今に残っているのは、途方もない時間のなかで無数の人々が力を尽くしてきたおかげなのである。(抜粋)
小さいもの「ピカシェットの家」
一方で、まったく異なる生まれ方をしたモニュメントもある。(抜粋)
それは、シャルトル大聖堂から1キロメートルほど離れた場所にある「ピカシェットの家」である。これはたった一人の手によって造られた。
一九〇〇年にシャルトルの貧しい家庭に生まれたレイモン・イシドールは、小学校を出てすぐに働き始めた。彼は妻とささやかな生活しながら地道に働いた。そして、その成果が実り二九歳で小さな土地を手に入れる。
そして、自力で家を建て始めた。そして、たまたま拾った陶器の破片を塗ったばかりの漆喰に張ってみた。それから彼は陶器やガラスの破片を拾ってはモザイク画を作ることに熱中する。
そしていつしか村の人は、彼のことを会食などに姿を見せては食べ物をもらっていく「ピカシェット」と呼ぶようになった。
そしてその後五六歳で、土地を買い足すと礼拝堂を造り始め、主題は宗教画となっていく。それは宗教心の篤い妻を喜ばせるためと自分自身の信仰心からである。
彼のモザイク画は徐々に質が高くなり、規模が大きくなってくるとメディアが興味を持ち始め記者たちが取材に訪れるようになり、訪問者が増え続けた。
その頃の彼は、見た夢をもとにモザイク画の製作を続けていたが、ある日、夢のなかで世界の終末のヴィジョンをいてしまう。(抜粋)
彼は発狂してしまい精神病院への入退院を繰り返すようになった。そして、ある嵐の夜、野原をさまよい、よく朝道端で発見される。
そして最後に著者は、本書のまとめとして次のように言っている。
大聖堂や城のように多くの人がエネルギーを注いで出来上がったものもあれば、ピカシェットのようにたった一人の造ったものもある。古代の列石柱や洞窟壁画から、料理法にアール・ヌーヴォー、そして現代の都市再生に至るまで。(抜粋)
[完了] 全26回

コメント