『忙しい人のための美術館の歩き方』 ちいさな美術館の学芸員 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第1章 タイパの真逆にある美術館 3 コスパ・タイパの呪縛
今日のところは「第1章 タイパと真逆の美術館」“その3”、「3 コスパ・タイパの呪縛」である。ここまで“その1”“その2”において、美術館に来ない「現役世代の人」が、実は美術をビジネスに生かすということに注目している、という一見矛盾する現象があることが解った。今日のところ“その3”では、その原因が、美術館というものがコスパ・タイパの逆にあるからだ、という著者の仮説が説明される。それでは読み始めよう。
手っ取り早く=タイパ重視の志向
前節“その2”で出てきた「すぐわかる系」の書籍には、「手っ取り早く本質だけを知りたい」という願望が見えるが、著者は、こうした傾向こそが現役世代の美術館離れに関係があると考えている。
この「すぐわかる系」と同じ流れにあるYouTubeの解説動画では、だらだらと話しかけることなどなく、まず要点を示し、そこから順に解説がされる。そしてみる方も簡単に飛ばしたり、再生速度を速めたりしながら聞いている。そこには、「待つ」という行為は徹底的に敬遠される。つまり「タイムパフォーマンス」=「タイパ」が非常に重要になっている。
「可処分時間」が追い立てる
近年「可処分所得」をもじった「可処分時間」(=生きていくために必要な時間を24時間から引いた、自由に使える余った時間)という言葉を良く聞く。この「可処分時間」は、細かく区切られた時間、隙間時間でもよく、タイパの呪縛に囚われていると、この隙間時間も活用しなければという強迫観念に襲われる。
現在では、YouTubeを筆頭に数十秒から一分程度の短尺動画が量産されている。しかも、動画は視聴者の好みに最適され自動的に次から次へと流れてくる。そこにさらに、音楽配信メディアが充実し「ながら聴き」という可処分時間を捻出することに成功する。
ここまで徹底した結果、空き時間というものが正真正銘ゼロに近くなりました。もはや「なにもしていない」という状態は当たり前ではなくなったのです。(抜粋)
タイパの真逆にある美術館
現在は、スキルアップや教養などを効率よく習得しなければ、社会から取り残されるという切迫感をもつ風潮がある。そのため誰もがコスパやタイパを意識せざるを得ない。このような状態では、
時間ができたから美術館にでも行こうかな、という気持ちになりづらいのは当然と言えば当然です。なぜなら美術館はタイパとは相容れない場所だからです。(抜粋)
美術館に行には、どんな展覧会があるかを探す「手間がかかる」、そして「お金がかかる」さらには、わざわざ美術館まで行く、美術館を回る「時間がかかる」、のが現実です。
「役に立つ・立たない」の天秤
そして、そこまでして美術館に行っても、その対価・パフォーマンスは、はっきりわからない。
「役に立つ・立たない」という基準で天秤にかけると、どうしても二の足を踏むことになってしまいます。(抜粋)
似て非なる映画鑑賞と美術鑑賞
美術鑑賞と同程度(1時間以上まとまった時間がかかる)の娯楽と比較すると、
- 読書:中断できる
- ネット動画:隙間時間に見ることが出来る。倍速もOK
- 映画:美術鑑賞に近い(中断できない)ので苦戦を強いられている
となる。
ここで、最も近いのが映画鑑賞だが、映画は受け身の態度で楽しめるが、美術鑑賞は、見る側が作品世界に歩みよる必要がある、という違いがある。
これが一種の知的作業であり、これこそが美術鑑賞の奥深さであり楽しい部分なのですが、脳のカロリーを大幅に消費することもまた事実です。(抜粋)
自発的な行動、してますか?
行きすぎたタイパ志向の弊害は他にもあると私は考えています。それは自発的な行動のハードルを上げてしまうことです。(抜粋)
タイパを意識しての行動は、多くの場合にシステムがリコメンドした動画や音声を受け身で吸収し続けることである。それに慣れてしまうと自分の意思で時間を何かに投資することに相応の意志力が必要になる。こういう状態になると、美術館に行くことが有意義なのかを無意識に考え、結果的に足が遠のいてしまう。


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