李卓吾 / 徐光啓 — 元・明 (その3)
井波 律子 『奇人と異才の中国史』より

Reading Journal 2nd

『奇人と異才の中国史』 井波 律子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

II 統一王朝の興亡 3 世界は広がり思想は深まる — 元・明 (その3)

今日のところは「3 世界は広がり思想は深まる — 元・明」の“その3”である。ここでは、「李卓吾」、「徐光啓」が紹介されている。それでは読み始めよう。

李卓吾(思想家)

李卓吾りたくご(本名は李贄りし)は、王陽明の流れをくむ王学(陽明学)左派のリーダーである。

彼の生家は、知識人階級であったが、貿易港泉州せんしゅうの多くの人と同じくイスラム教徒だった。郷試きょし(科挙の地方試験)に合格した後、地方官吏となり五十四歳で役人生活に終止符を打ち、陽明学の研究に専念した。

李卓吾はまことに矯激[きょうげき]かつ破壊的な思想家だった。(抜粋)

彼は「童心(虚偽をはぎとった純真そのものの心)」を重視し、儒教的な伝統的価値観を虚偽であるとし否定した。また、『蔵書ぞうしょ』において、一つの時代には一つの時代の基準があり、歴史上の人物を固定した儒教的基準で一律に評価できないと主張した。そして、素行の悪い文学者の典型とされた司馬相如しばそうじょ、姦雄と目される曹操、無節操な政治家の代表とされた馮道ふうどうを称賛した。さらに彼は、男女に優越の差は無いとする思想の持ち主で、女性の弟子も受け入れた。

このように、あらゆる価値観を否定した李卓吾は、最終的には「危険な思想家」とされ逮捕、投獄され自刎じふんして果てた。七十六歳であった。このような儒教倫理に異議を唱えた李卓吾の思想は、明末清初の思想家に大きな影響をあたえた。

徐光啓(農学者・数学者)

徐光啓じょこうけいあざな子先しせんは、科学領域に通暁した学者である。彼は、農業技術百科全書『農政全書のうせいぜんしょ』の編纂、西洋暦法の導入、ユークリッド幾何学の翻訳である『幾何原本きかげんぽん』の刊行などを行った。

彼は貧しい生活の中で勉学を重ね、ニ十歳で秀才(科挙の地方予備試験合格者)となるが、その先がうまくいかず会試かいしに合格し官界入りした時は、すでに四十三歳になっていた。

この浪人生活中は、家庭教師などをしながら生計を立てていたが、この間にキリスト教を知り、宣教師マリオ・リッチ(利瑪竇りまとう)やダ・ローチャ(羅如望らじょぼう)と知り合い、西洋の文化・科学について知見を持った。さらに、洗礼を受け中国人キリスト教徒の指導者となる。

徐光啓の官僚生活は、おおむね順調に推移し、最後には礼部尚書れいぶしょうしょ(宰相)にまでになった。彼は、火器製造技術の導入を提案し、イエスズ会の宣教師アダムス・シャーㇽ(湯若望とうじゃくぼう)などを呼び寄せ火器製造に着手した。また、西洋暦学をとりいれ明の暦の改修とともに、西洋暦学の書物を翻訳した(彼の暦は明王朝では用いられなかったが、次の清王朝によって新暦として採用された)。このような公務の一方、彼は、『幾何原本』の翻訳・刊行したり、『農政全書』の編集なども行った。

彼が沈括ちんかつなどの従来の中国科学者と違うところは、西洋科学の基礎知識を身につけたうえで、中国の科学を捉えなおしたことである。

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