『キリスト教入門の系譜』 岡本 亮輔 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第2章 生まれ変わる聖書と日本人 ―― 占領期のキリスト教ブーム(その3)
今日のところは「第2章 生まれ変わる聖書と日本人」の“その3”である。ここでは、真宗の立場からキリスト教を批判した野依秀市と真宗の家に生まれキリスト教へ改宗した亀谷凌雲という二人の人物の人生と思想に焦点を当てている。それでは読み始めよう。
言論ギャングの逆襲と困惑 — 野依秀市 vs. 亀谷凌雲
比屋根安定の天皇改宗論
マッカーサーの庇護は、クリスチャンにとって最強の後ろ盾であった。宗教学者の比屋根安定は、読売新聞に「天皇とキリスト教」という論説を寄稿した。比屋根によると、日本の歴代天皇が仏教に帰依したのは、仏教が日本を国際社会に導いたからで、現代では、キリスト教が最も広まっている。いまでは仏教の使命は尽きた。昭和天皇こそイエスの十字架上の死を最もよく理解できる、と説いている。この論説のもとになった文章が『基督教入門』にも記されている。
マッカーサーの庇護がある当時の状況では、このように天皇の改宗すら公然と要求できた。
言論ギャング野依秀市
しかし、このような風潮に真っ向から反発する者も現れた。その代表が野依秀市である。野依は、月刊誌『実業之世界』などで筆を振るい明治・大正・昭和の言論界をかき回した人である。
言論ギャング異名を取るだけあって、清廉潔白とは程遠く、恐喝で二度も監獄にいれられている。そして二度目の獄中で蓮如の『御文章』と『歎異抄』を読んで、絶対他力の信仰に目覚めた。
野依は『真宗の世界』を創刊して、門徒(浄土真宗の信者)の立場からキリスト教を批判した。
『仏教か基督教か』、野依のキリスト教批判
野依は、『仏教か基督教か』を出版し占領時のキリスト教推進ムードのなか、真正面から異を唱え、仏教優位を論じた。著者は、この本が徹底したキリスト教批判の本であるため、かえってキリスト教の特徴が、明確に描き出されている、と指摘している。
当時、キリスト教は戦後世界の共通基盤であり、キリスト教が無ければ民主主義や平和といった価値観も確立しないというのが共通の見解であった。しかし、野依は「キリスト教には致命的な欠陥がある」と主張した。それまで、キリスト教の優位を主張していた賀川などは「宇宙の法則」「全能の創造主」「人間に内在する良心」「見えない霊」などを語ってきた。しかし野依は、そんな正体不明のアヤフヤな神を本尊にするのはおかしい、と主張した。さらに野依は、神が全知全能ならば、二度の世界大戦、関東大震災、原子爆弾まで神の御心となる、「全能の唯一神という観念そのものが、科学を知らない無知から生まれたものだ」とし、「進化論と両立できないキリスト教は、仏教に比べて未熟である」と主張した。
著者は、このような野依の主張は、占領下日本のキリスト教の一面を見事に言い当てていると指摘している。
野依は、神社を含め祈りは原始的な迷信であると断じた。一方、釈尊は神仏への祈りを離れ、哲学的に新境地を切り開いて悟りを得た。阿弥陀仏の祈りというのは人間側の営みなど気にかけず、煩悩だらけの人間を無条件に救う、だからこそ真宗こそが「完全な救いの宗教」であると主張した。
『仏教から基督へ』、亀谷凌雲の軌跡
野依は、仏教の立場からキリスト教を攻撃したが、反対に浄土真宗の僧侶からキリスト教の牧師になったのが亀谷凌雲である。その過程は、彼の自伝、『仏教から基督へ』に書かれている。
亀谷は、浄土真宗の寺院に生まれ、蓮如などの教えに親しみながら育った。亀谷は第四高等学校(現・金沢大学)時代に毎日読経し、仏教書を読み漁ったが、阿弥陀仏がどのような存在か解らない、阿弥陀仏に実体があるのか、と悩んだ。
そして、第四高等学校で教鞭をとっていた西田幾多郎から仏教と比較しながらキリスト教について学んだ。そして東京帝国大学では、日本宗教学の祖・姉崎正治に学んだ。真宗は「祈りなき宗教」だと再認識し大学院ではキリスト教研究に着手した。
かれはその頃たまたまと足を踏み入れた救世軍の教会で山室軍平の話に心を動かされ、以後毎週日曜日に午前は浄土真宗僧侶・近角常観、午後は山室の説教に通った。その後、北海道の中学校の教師になると各宗教の門をたたくが、しだいにキリスト教に傾倒していった。
そして、金森道倫(一八五七~一九四五。政治家の石破茂はひ孫)との出会いが運命を決めた。
このころ一時的に救世軍に加わっていた金森は、伝道で北海道に来ていた。亀谷は金森に多くの疑問をぶつけた。すると金森は多くを語らなかったが、それまで一度も祈ったことがない亀谷と共に静かに祈ってくれた。この体験が亀谷を変えた。彼は実家の寺を継ぎながらも聖書を愛読した。
「キリストも阿弥陀仏のように実態がないのではないか」と幾度も疑ったが、それでも聖書を手放せなかった。そして、ついに「キリストこそ宇宙唯一の実在者である」と確信に至る。(抜粋)
仏教を包摂するキリスト教
僧侶から牧師に転身した亀谷凌雲は独特の存在感を放っていた。彼には『念仏より基督へ』という著作もあり、その中には、「念佛より基督が何故優るか」「涅槃と十字架」などの比較論が並ぶ。ここで著者は、その中から「佛教を包む基督教」という論説を紹介している。
ここでは、いろは歌に秘められたキリスト教のメッセージを読み解いている。いろは歌を、ある規則で読むとその中に、キリスト教のメッセージが浮かび上がり、つまり、いろは歌にはキリスト教が仏教を包摂するメッセージが隠されているというものである。
しかし、この論説は、このような、読解はその方法が説明されていないなど問題がある。ここで著者は、このような強引な主張が問題にならないくらい、占領期日本のキリスト教は異例の優位と特権を与えられていた、としている。

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