湖南文山 『通俗三国志』
井波 律子 『三国志曼荼羅』より

Reading Journal 2nd

『三国志曼荼羅』 井波 律子 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第三部 — 湖南文山 『通俗三国志』

今日のところは、「湖南文山 『通俗三国志』」である。三国志物語は、正史『三国志』、『三国志演義』はもとより漫画やゲームに至るまでその人気を現代に保っている。

ここでは、その源流を訪ね、日本で初めて翻訳された『三国志演義』である湖南文山『通俗三国志』を紹介している。それでは読み始めよう。


現代の日本では、「三国志」関係の出版物であふれている。さらにコンピューターゲームや、漫画にいたるまで「三国志」は大変な人気となっている。

日本での最初の「三国志」は、江戸時代の元禄二年(一六八九年)に出版された『三国志演義』の翻訳、湖南文山こなんぶんざん『通俗三国志』であった。この湖南文山は、京都天竜寺の僧侶だった義轍ぎてつ月堂げつどう兄弟のペンネームであるとされる。『三国志演義』が中国で最初に刊行されてから約百七十年後となる。

湖南文山の『通俗三国志』は、英雄豪傑が縦横無尽に活躍する三国志世界を、ヴィヴィッドに浮かび上がらせた、まれに見る名訳である。(抜粋)

ここで著者は、その文章の妙を示すため、劉備が『通俗三国志』に登場したシーンをひいている。

「そのころた涿たく県の楼桑村ろうそうそんというところに、一人の英雄あり。この人つねにことば少なうして、礼をもって人にくだり、喜怒きど色にあらわさず、天下の名のある人を友として、その志きわめて大なり」(抜粋)

著者は、このような文章を評して、この重厚な語感、雄渾ゆうこんなリズムは、現代日本語では到底再現できないと言っている。『三国志演義』は、もともと講釈師が語り継いで来たものの集大成であるため、語り口の文体・「講談調」が濃厚に見られる。この湖南文山の訳はそのような独特の調子を見事に生かしている。このような湖南文山の調子に見されれた人は多く、桑原武夫は、「『三国志』は必ず湖南文山の完本で読まなければならない」と主張している。

この『通俗三国志』が刊行されてから約百五十年後、天保七年(一八三六)から十二年(一八四一)にかけて『絵本通俗三国志』が刊行された。これは、湖南文山の『通俗三国志』に北斎の高弟である葛飾戴斗かつしかたいとが挿絵を付したものである。

この葛飾戴斗の挿絵は、誇張の技法を存分に駆使し『三国志演義』の登場人物の力あふれる面構えや、力と力が激突するドラマティックな場面を描き出している。この挿絵は湖南文山の文章と見事にマッチし相乗効果をあげている。

湖南文山の文と葛飾戴斗の挿絵がこうして渾然一体となった、『絵本通俗三国志』の魅力は、時代を越えて、読者に快い衝撃と、新しい世界を発見する喜びを与えずにはおかないのである。(抜粋)

初出掲載誌:(「ディー」九四年六月、生活クラブ連合会)

コメント

タイトルとURLをコピーしました