『憲法とは何か』 長谷部 恭男 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第2章 冷戦の終結とリベラル・デモクラシーの勝利(その1)
今日から「第2章 冷戦の終結とリベラル・デモクラシーの勝利」に入る。前章(“その1”、“その2”)において、立憲主義について学んだ。第2章のテーマについて著者は、次のように述べている。
前章で説明したように、立憲主義は、人間の本性に反してでも選びとるべきものとして、それぞれの国に採用されたものである。立憲主義を、それぞれに基づくリベラル・デモクラシーを採らないという選択も当然ありうる。その選択が何を意味するかが、本章のテーマである。(抜粋)
第2章では、第二次世界大戦の終結の意味を考察し、立憲主義を採用した国家とそれ以外(ファシズムと共産主義)を採った国家について、比較している。さらに第二次世界大戦でファシズムが退けられ、その後の共産主義諸国が議会制民主主義に憲法を変更することによる冷戦の終結、などがとりつかわれる。
第2章は、4つに分けてまとめるとする。“その1”では、ルソーの「戦争状態論」から紐解き、戦争の形態の変化から国家の民主化が促進され、さらに国家が議会制民主主義、ファシズム、共産主義の三者に分かれたことが解説されている。それでは、読み始めよう。
国家の構成原理としての憲法
ここで著者は、憲法を考えるために一九八〇年代に終結した冷戦を考える。
結論から先取りして述べると、冷戦とは、他の多くの戦争がそうであったように、相手方の権力の正統性原理である憲法を攻撃目的とする二つの陣営の対立状態でありそれは、一方の陣営(東側)が自らの憲法を変更することで終結した。第二次世界大戦がドイツと日本の憲法の変更によって終結したのと同様である。(抜粋)
ここでいう憲法は、憲法典でなく、国家の基本となる構成原理を指す。ワイマール時代のドイツで活躍した憲法学者、カール・シュミットは、「憲法制定権力の担い手による決定内容たる憲法」であるといった。
この意味での憲法が変更されたとき、「体制変革(Regine Change)」が発生し、新たな政治秩序が発足する。(抜粋)
この国家の基本となる構成原理としての憲法という視点は、憲法の改正に関しても、様々な示唆を与えるものである。
ルソーの戦争状態論
次に著者は、ルソーの戦争状態論に話題を移している。
政治哲学者のジャン=ジャック・ルソーは、「戦争および戦争状態論」で、ホッブスの描く国家成立による平和の実現という議論に批判を加えている。
- ホッブスの社会契約論:自然状態では、人々は万人の万人による戦いのため孤独で惨めである。そのため、その自然権を主権者に譲り渡し、国家を設立することで平和となる。
- ルソーの批判:自然権を譲り主権者に服従しても、並存する主権者たちが互いに争う。そのため自然状態よりも大規模な殺戮が生じる。
この大規模は殺戮が生じることの一因は、国家が社会契約的に基づく人為的構成物であって、自然によって与えられる限界を持たないからである。
しかし、この国家が人為的構成物ということが、戦争および戦争状態を即時に解決する方法を指し示す。戦争は国家間でしか発生しない。国家は単なる法人であるため、社会契約という公的な約束事を取り払えば消え去り、生身の個人の命を奪うことなく戦争は終結する。
戦争とは、主権に対する攻撃であり、社会契約に対する攻撃であるから、社会契約さえ消滅すれば、一人の人間が死ぬこともなく戦争は終結する。(抜粋)
そのため、人間の生命や私有財産などの保持が肝要ならば、人の生命や財産を守るために取り交わされた国家というものを、戦争や戦争状態を回避するために消滅させることが適切となる場合もある。
このルソーの想定は、単なる空理空論ではない。それはわれわれの知る最近の事件として発生した。冷戦の終結がそれである。(抜粋)
三種の国民国家
戦争は、国家間で勃発し、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとる。その国家の憲法は、どういう憲法であるかがここで問題になる。
フィリップ・バビットは、『アキレスの盾』で冷戦は第一次世界大戦に始まる大戦争だと指摘している。
この大戦争をもたらしたのは、一九世紀後半の軍事技術の革新と、それによる国家像の変貌である。(抜粋)
それ以前の戦術は、兵力を一点に向けて集中的に投入するもの(ナポレオンなど)であったが、この戦法は、一九世紀中葉における重火器の精度向上により不可能となった。
これに代わり、訓練された大量の兵員を分散・展開し敵陣を包囲することにより敵陣にだけ気を与えるという戦法(ビスマルクなど)がとられるようになった。
この戦略は、徴兵制を通じて、大量の国民を長期にわたって戦争ないしその準備に参加させることを強いる体制を要請する。(抜粋)
これにより、政治の民主化、福祉の格差是正などの政策がとられるようになる。戦争参加の範囲と政治参加の範囲には密接な関係がり、命をささげることを要求するためには、平時において福祉に配慮することは当然である。
大衆の戦争参加への強制が、全国民の安全の保障と福祉の平等な向上、そして文化的一体感の確保を国家目標とする国民国家を登場させたのである。(抜粋)
そして、いかなる国家体制が、この国民全体の安全と福祉と文化的一体感の確保という目標をよりよく達成できるかという点で争いが起きる。そこで主要な敵対者として「リベラルな議会制民主主義」「ファシズム」「共産主義」の三者が浮かびあがる。
これは、一九二三年のカール・シュミットの『現代議会主義の精神史的地位』ですでに明確に描かれている。
関連図書:
カール・シュミット(著)『現代議会主義の精神史的地位【新装版】』、みすず書房、2013年
Philip Chase Bobbit(著)『The Shield of Achilles: War, Peace and the Course of History』、The Penguin Press,、2002
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