『フランス 26の街の物語』 池上 英洋 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
Chapter 4 世界遺産を歩く / 月の港のワイン — Bordeaux(ボルドー)
フランスワインの二大生産地ボルドーとブルゴーニュ
さるフランスの王様が、「ボルドーとブルゴーニュのいずれかがお好きで?」と尋ねられ、「金髪と赤毛とどちらが好きかというようなものだ」と答えられたとか。(抜粋)
これは山本博の『ワインの女王ボルドー・ワインのすべて』(早川書房)で紹介された小話である。
ボルドーは、ブルゴーニュ(ココ参照)と共にフランスワインの二大生産地であり、ブルゴーニュは男性的でボルドーは女性的と形容されることが多い。
フランスではワインは料理の一部であるが、これは世界規模でボルドーの赤ワインがそのイメージの大半を担っている。明治初期に西洋近代化を急いだ日本でも、まずその地位を確立したのはボルドーの赤ワインだった。
ボルドーの歴史
ボルドー・ワインの産地は、ガロンヌ、ドルドーニュ、ジロンドの三河川流域の一体である。この地域には古く紀元前六世紀には伝わったと考えられている。ガロンヌ川の河口のボルドーは、ガリア人が原始的な集落を建設していた。そして紀元前五六世紀にローマ人が駐屯地兼交易所として港を建設した。
ガロンヌ川が三日月形に湾曲する入り江は港として格好の場所であり、そこから「月の港」の綽名がついた。(抜粋)
そして、七〇年には、属州の行政首都となりワインを送り出す港を中心に二万人の人口を抱えるまでなった。その後、この地にはゲルマン、ノルマン、イスラムの諸勢力が来襲する。一二世紀、この地はアキテーヌ公国の都として栄えていた。ここに公爵位を継いだ女公アリエノール・ダキテーヌがいる。彼女は一度フランス王ルイ七世と結婚するが離婚してしまう。そして、その後アンジュー伯アンリと結婚する。そしてこのアンリは継承権争いを制してイングランド王ヘンリー二世として即位し、ノルマンディー公位も継ぐ。アンリはアリエノールの領地もあわせるとイングランド王が突如としてフランス内部に広大な領地をもつことなり、百年戦争の遠因となる。
アリエノールは二人の王との間にあわせて一〇人の子供を儲けた。そして各地の領主に嫁いだ娘たちも多くの子を産んだ。そのため後のヨーロッパ各地の王室に彼女の子孫が大勢いる状態となる。それ故アリエノールは「ヨーロッパの祖母」と呼ばれるようになった。
シャトーで作られるボルドーのワイン
ボルドーとブルゴーニュのワインにみられる違いとして重要なのが、後者を代表する銘柄のほとんどが修道院に起源をもつ一方、ボルドーのそれは貴族が所有するシャトー(城館)で造られていたという点だ。(抜粋)
このシャトーはフランス革命期に一度没収されるが、それをまた貴族が買い戻したり、買い取った新興大商人が貴族化してもとの生産方式が守られる。
このシャトーの中で非常に古い歴史をもつものが「パープ・クレマン」である。このシャトーは、兄のガイヤール・ド・ゴからベルトランに与えられた。彼は相続権のない次男だったため信仰の道に入っていた。そし、フランス王の支援を受け教皇クレメンス五世として、教皇庁をアヴィニョンに移してしまう(ココ参照)。
彼こそ教皇のアヴィニョン捕囚を開始した人物にほかならない。(抜粋)
彼はワインを非常に愛し、所有するシャトーでワイン造りに精を出した。そしてシャトーは、「パープ・クレマン」(教皇クレメンスの意)と呼ばれるようになった。
近代のボルドーとワインの格付け
百年戦争の間、イングランドがこの土地を所有していたので、この時期には、ボルドー・ワインは英国貴族の間で愛飲された。そして、大航海時代には、三角貿易で富を蓄えたが、黒人奴隷の扱い量でもナントに次ぐ港となる。そして、近代を迎えるころには、人口は4万人となった。
そして、一八五五年のパリ万博でフランス皇帝は高級ワインを万博の目玉の一つとした。彼はボルドー・ワインの格付けを命じ、数百あるなかから六一のシャトーが選ばれ一級から五級まで格付けされた。これがワインの格付けの始まりである。
シャトーのほとんどが高級ワインを揃えるメドック地区から選ばれている。このうち一級とされたのは、ラフィット=ロートシルト、ラトォール、マルゴー、オー=ブリオンの四つのシャトーであり、現在でも最高級ワインの代名詞的な存在であり続けている。(抜粋)
関連図書:山本 博 (著)『ワインの女王: ボルドー・ワインのすべて』、早川書房、1990年

コメント