『ファンタジーに秘められた宗教』 中村 圭志 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第④回 『銀河鉄道の夜』 生者と死者の旅路(その2)
今日のところは、「第④回の「『銀河鉄道の夜』 生者と死者の旅路」の“その2”である。前回の“その1”では、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の概要とあらすじ、さらに主人公ジョバンニの覚醒体験は、賢治の法華経への回心体験が裏打ちされていることが解説された。今日のところ“その2”では、銀河鉄道の旅でジョバンニが経験する喪失体験に触れ、それが妹トシの死の体験と重なっていること、そして喪失体験が覚醒体験と合わさり、菩薩の道につながることが示される。それでは読み始めよう。
ジョバンニの喪失体験
前回”その1”でジョバンニは、銀河鉄道の旅で「覚醒体験」をしたことが解説された。しかし、ジョバンニは覚醒体験だけをしたのではなく、同時に「喪失体験」もしている。それは、親友カンパネルラの死別である。
妹トシとの死別と菩薩の道
そして、ここにも賢治自身の体験が重なっている。それは、妹トシの病死であった。賢治はこのトシの死を「永訣の朝」という詩に詠んでいる。
浄土宗や浄土真宗では、死後に極楽浄土に行って安らうことを強調するが、一般に仏教では、死後も輪廻転生し、またどこかの世界に生まれ変わるとしている。そのため、賢治もこの輪廻転生の原則に従い、妹がそのまま安らうとは考えていない。
賢治は、「青森挽歌」という詩の中でトシが死後に何に生まれてくるのかを心配する。しかし、そこで賢治は法華信仰の原則に立ちかえり、どんな空間に生まれようとも、そこで「菩薩」の道 – 人々を救済する求道者としての道 –- に邁進する、というのがトシのあるべき姿であると思い返している。
現代人の多くは、死んだら天国のようなところに行って、あるいは大いなる自然に還って安らうことを願っていますが、賢治の考え方は異なります。久遠の過去の生から現在の生を経て、久遠の未来の生に流れていく。一続きの長い長い人生があって、その中で「みんなの本当の幸い」のために努力を続けるという、とんでもない遠大なビジョンをもっている。現世にある賢治自身も、死の向こうに行ったトシも、このような時空の中に生きているのです。(抜粋)
この賢治とトシの関係が、ジョバンニとカンパネルラの関係に転換されている。
『銀河鉄道の夜』の来世観
ここで著者は、賢治が残した文献上の痕跡から、『銀河鉄道の夜』の背後にある来世観は、輪廻転生を土台としていると推定している。
銀河鉄道のモチーフの天の川は、宇宙空間を何度もめぐり、生が繰り返す輪廻の表象にぴったりである。そしてキリスト教徒のかほるたちはサウザンクロス駅(「天上」)で降りたが、死者のカンパネルラは下車することなく先に進すんでいる。ジョバンニの口癖も「どこまでもどこまでも行こう」である。
これらの暗示を総合すると、『銀河鉄道の』の来世観は、天国が最終地点となるキリスト教のものとも、また極楽往生を説く浄土信仰のものとも違う、どこまでもどこまでも転生が繰り返される賢治自身の来世観を反映していると考えるべきでしょう。(抜粋)
ジョバンニと賢治の「覚醒体験」と「喪失体験」
ここで著者はジョバンニと賢治の「覚醒体験」(”その1”参照)と「喪失体験」について整理する。
- 「覚醒体験」:ジョバンニの覚醒体験は賢治の回心体験に似ている。「救いを求める者」から「救いを与える者」への転換がポイントである
- 「喪失体験」:ジョバンニの喪失体験は賢治のトシとの別れを反映している。ここで「輪廻の中のどこにいても菩薩の道を歩む」という願望を得る。この展望から「みんなの本当の幸いを探しに」「どこまでもどこまでも一緒に行こう」というセリフが生まれた。
ここでカンパネルラが死者であった事実を知った後で、ジョバンニがどう考えるようになったかは不明であるが、賢治がトシの死の衝撃から立ち直った後の心理状態、つまり死の境界の向こうとこちらから、どこまでも一緒に理想を追求しようと考えたと推測している。
宮沢賢治の信仰の歩みと法華文学
ここで著者は、宮澤賢治の信仰の歩みをまとめている。
賢治は、岩手県花巻川口町(現・花巻市)の裕福な古着商・質屋の家に生まれた。生家は、親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗で、幼いころから親鸞の書を熱心に学んでいた。青年期に入り賢治は自分の家が裕福なのに、世の中の多くの人々が貧困に喘いでいる現実に悩み、自らの境遇に罪悪感のようなものを感じるようになっていた。
父は浄土真宗の篤信家で、地域の仏教信仰に努めた人であったため、縁あって、賢治は浄土真宗の僧侶・島地大等の訳した「法華経」、『漢和対照妙法蓮華経』を読む機会があった。
彼は法華経の世界観にいたく感動したと言われます。これが賢治の回心体験です。(抜粋)
法華経は普遍的な経典であるが、それを特に重んじるのは日蓮宗などの法華信仰系の宗派である。そのため賢治は浄土信仰の父と対立するようになる。
法華経は、多くの登場人物が大いなる使命に目覚め、自らの救いを確信するとともに、人々の救済を誓うという展開を持ち、賢治はその「社会全体の救済」という啓示に受けたと考えられる。一方、浄土信仰は、人を弱き存在として、すべてを阿弥陀仏に委ねることを基本としている。
賢治の人生は、この法華信仰が反映していて、後の学業や職業の遍歴は、農民への奉仕という「社会全体の救済」が根底にある。
賢治の執筆活動は、二四歳のときに関わった国柱会という法華信仰系団体の指導者に「法華文学」を目指してはどうかと諭されたことに始まる。そのため、賢治の詩や童話は、あらゆる衆生生きとし生けるもの)の救済を説く法華経のメッセージを文学的に翻案したものと考えられる。
賢治の人生の歩みについては、北川前肇の『宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる』に詳しく乗っていますよ。(つくジー)
関連図書:北川前肇(著)『宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる』NHK出版 (NHKこころの時代)、2023年

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