『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
1章 日清戦争 日清戦争はなぜ起きたのか [後半]
ここで日清戦争が勃発した。これは、日本側の思惑にかかわらず当時の国際情勢では不可避だった。日清戦争は、帝国主義戦争の代理戦争だった。
イギリスはロシアの南下政策に対して何もできない清国を見はなしはじめ日本を支持するようになる。イギリスは、関税自主権や治外法権の改訂する話に応じ日本の後押しをした。そこで、李鴻章は、ロシアに接近してロシアの代理が清国となる図式となった。
ここでなぜイギリスがロシアに対峙することになったのかを、著者は日清戦争後に結ばれた下関条約を見るとわかるという。下関条約では、清国に朝鮮を完全な独立国として認めさせた、そして独立国である朝鮮に対する条約は開港場の設置などは、“すべての列強に均等な条件で提供される“ことになった。(つまり、イギリスにとって貿易がしやすくなる)
また、日本にとっても朝鮮との地理的な近さのため朝鮮との貿易により莫大な利益が見込まれた。
日清戦争後の日英通商航海条約では領事裁判権が廃止され、関税自主権の原則回復がなされ、清国からは、莫大な賠償金が手に入った。
ここで、日清戦争後の国内の政治で何が最も変わったかと著者が問いかける。それは、普通選挙の運動だという。日本は、人命をかけて戦争に勝ったが、三国干渉をまねき遼東半島を失った。この三国干渉は遼東半島の返還は国民に大きな喪失感と不満を抱いた。政府に圧力をかけてこのようなことが起こらないようにするには、国民にあまねく選挙権を持たせるしかないと多くの人が思ったのだった。
戦争には勝ったはずなのに、ロシア、ドイツ、フランスが文句をつけたからといって中国に遼東半島を返さなければならなくなった。これは戦争には強くても、外交が弱かったせいだ。政府が弱腰なために、国民が血を流して得たものを勝手に帰してしまった。政府がそういう勝手なことができてしまうのは、国民に選挙権が十分にないからだ、との考えを抱いたというわけです。(抜粋)
関連書:陸奥宗光(著)『新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録』岩波書店(岩波文庫)1983年
陸奥宗光(著)『蹇蹇録』中央公論新社((中公クラシックス)2015年
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