『三国志曼荼羅』 井波 律子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第三部 — 乱世の群像 — 三国志の人々(後半)
今日のところは、「乱世の群像」の”後半“である。”前半“は、「三国志」世界で活躍した「君主」「軍師」「猛将」についてあった。今日のところは、それに続いて、「三国志」世界で活躍した「老将」「女性」が紹介されている。それでは読み始めよう。
趙雲・黄忠 — 烈々たる老将、物語の襞に
『三国志演義』の物語世界には、数えきれないほど剛勇無双の猛将が登場するが、趙雲のように二十代から七十を超えるまで、第一線でコンスタントに活躍した例は少ない。(抜粋)
趙雲は、当初劉備の盟友の公孫瓚の部将であったが、公孫瓚が袁紹に滅ぼされた後、劉備の配下に入った。それ以来、彼はここぞという時に爆発的な力を発揮した。「長坂の戦い」では、劉備の息子阿斗(劉禅)を懐に抱えて血路を開いて守った。また、「漢中争奪戦」では、曹操の大軍に包囲された老将黄忠を救出し「常山の趙子龍、一身しべて是れ肝っ玉なり」と称賛された。趙雲が最後に戦場に出たのは、第一次北伐の時であった。この時、諸葛亮は老齢を心配して出陣リストから外したが、それを知った趙雲が憤然と抗議して戦法を引き受けている。
付言すれば、老齢となるまで戦場を駆けめぐり、力あふれる現役でありつづけた趙雲は、悲劇的な最期を遂げた関羽や張飛と異なり、第一次北伐後、病床に伏して死去、静かに退場する。(抜粋)
趙雲のように老齢なっても活躍した老将に黄忠がいる。彼は、「赤壁の戦い」後に劉備軍に入り、趙雲とコンビを組んで戦った。そして「漢中争奪戦」では、曹操配下の夏侯淵を討ち取るという大殊勲をあげた。
ただ、黄忠は、頑固者であり関羽の弔い戦では、配下の制止を振り切り出撃したさいに、矢傷を受けて死に至った。七十五歳であった。
呉にも、程普・黄蓋・韓当という三人の老将がいた。彼らは孫堅配下の部将であったが、孫堅の死後は息子の孫策、孫権に従って戦った。とりわけ「赤壁の戦い」での勝利は、彼ら三人の老将の協力があったからこそである。
程普は、当初若い僧司令官の周瑜に難色を示したが、その実力を認めるや、一転して全面バックアップを惜しまなかった。黄忠は、「赤壁の戦い」において周瑜と心を合わせて降伏を装い曹操の本陣に接近し、火責めの口火を切った。
『三国志演義』では数かぎりない戦いが展開される。しかし、その戦いは単なる力と力の空疎な衝突ではなく、戦いの当事者、すなわち登場人物の生の軌跡を深い襞として織り込んだドラマとして描かれる。残んの命を燃やし尽くして戦う、烈々がる老将たちは、そんな戦いのドラマとしての『演義』世界を深部で支える存在だといえよう。(抜粋)
乱世の女たち — 聡明、哀切にして毅然、猛烈
『三国志演義』の校訂者としられる清代の毛宗崗は、『演義』の女性像についてこう述べている。「武装した陣列のなかに、ときとして紅い裾がひるがえり、軍旗の影からはいつも美しい女性の顔がのぞき、勇者の伝記と美女の伝記を合わせて一つの書物に仕立てたようだ」(「読『三国志』法」)。(抜粋)
ここでは、三国志世界を彩る女性を紹介している。
曹操の妻、卞夫人は歌妓出身ながら、二十歳のころ曹操と出会ってから、四十有余年、苦楽をともにした。彼女は、危機にも動じない冷静さと度胸をもち曹操に深く信頼された。
曹操のまわりにもご多分にもれず、大勢の女性が存在した。にもかかわらず、これといったスキャンダルがないのは、曹操が品行方正だったからではなく、この何でもお見通しの賢夫人の威力によるところ大だったといえよう。(抜粋)
劉備の妻、糜夫人ももう一人の妻甘夫人とともに辛酸をなめ尽くした人だった。彼女は「長坂の戦い」のさい、戦場を逃げまどい深手を負いながら、甘夫人の実子阿斗(劉禅)を守り抜いた。そして、追いついた趙雲に阿斗を渡すや、身動きできない彼女は足手まといになると井戸に身を投げた。
また、劉備の子、劉禅には七人の息子がいたが、魏に攻め込まれたとき徹底抗戦を主張したのは、劉諶だけだった。そして全面降伏の決定がなされたとき、妻の崔夫人は降伏より死を選ぶという夫を「ごりっぱ、ごりっぱ」と励まし、先んじて命をたった。
そして、孫権の周りには、猛烈な女性が多かった。孫権の実母の呉太夫人と継母の呉国太(呉太夫人の妹)は「母の力」をここぞという時に使い、動揺している孫権に助言をするなど、乱世を生きる賢母だった。
しかし、孫権は「妹の力」「娘の力」に悩まされた。劉備の後妻となった孫夫人は、単に政略結婚をさせるつもりだった兄の思惑など気にせず、さっさと駆け落ち同然に劉備の本拠地に向かった自己主張の強い女だった。さらに娘の魯班(全公主)は、孫権の晩年に衰えた父親を動かし、お家騒動を巻き起こし、猛威を振るった。
ここでとり上げた女性以外にも、『三国志演義』の世界には、さまざまなタイプのすばらしい女性が続々と登場する。彼女たちは総じてみずからの手で直接、世界を動かすことはできなかったけれども、それぞれ母、妻、恋人、姉、妹、娘として可能なかぎりを尽くし(ときには逸脱する場合もあるが)、きっぱりとシビアに生きた。そんな乱世の女性群像を巧みに織り込むことによって、『演義』世界はいやがうえにも複雑な魅力を増している。(抜粋)
初出掲載誌:(現代「私の三国志」二〇〇三年五月―六月、朝日新聞夕刊東京)

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