「靖国問題」 高橋哲哉 著
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2005-06-25)
第三章 宗教の問題ー神社非宗教の陥穽
ここでは、靖国問題と信教の自由について論じている。
まず、はじめに書いてある著者の要約を抜き出しておく。
第三章の「宗教の問題」では、憲法上の政教分離問題の展開を踏まえた上で、靖国信仰と国家神道の確立に「神社非宗教」のカラクリがどのような役割を果たしたのかを検証し、靖国神社の非宗教化は不可能であること、特殊法人化は「神社非宗教」の復活にもつながるきわめて危険な道であること、などを論じる。(抜粋)
まず日本国憲法の政教分離規定である。憲法第20条が載っている。
- 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け。又は政治上の権力を行使してはならない。
- 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
- 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。
政教分離は、近代国家の原則であるが、日本国憲法は特に厳しい内容であるという。
この規定を普通に読めば、靖国神社に首相が公式に参拝すれば、憲法に抵触するのは明らかであると思う。この本ではさらに、各地での裁判の結果を並べ、「違憲」との判決はあっても「合憲」との判決は一つもないことを指摘している。
憲法に抵触することなく、靖国神社に公式参拝するには、以下の2つの方法が模索されている。それは、
- 憲法の政教分離規定を「改正」する
- 靖国神社を宗教法人でなくする
まず、1については、公式参拝のみを国家儀礼として例外とする案が出ているという。しかし宗教法人である靖国神社のみを例外規定とすること自体が、政教分離の原則そのものを破壊してしまう。
そこで、1を成り立たせるためには、2が必要になってくる。
しかし、2が成立するならば、現憲法下でも政教分離規定にかからないので、1は必要ないのだそうだ。
実際に、靖国神社を宗教法人ではく特殊法人にする試みが、過去に大々的に行われた。(靖国神社国家護持法案)
しかし、これは所詮不可能なことであると、著者は言う。
靖国神社が靖国神社であるためには「英霊顕彰」の活動を止めるわけにはいかない。だがそうである以上、それはどんなに強弁しても宗教性を否定することはできないのである。
・・・・・・中略・・・・・・
要するに、靖国神社を憲法に違反せずに国営化するがめに非宗教化しようとすれば、それはもはや靖国神社でなくたってしまうのである。(抜粋)
もちろんそのようなことは、靖国神社側も受け入れられるわけはないのである。
ここから、靖国神社の非宗教化の背景にある戦前・戦後の「祭教分離」の話に移る。
(この辺の歴史的な話は、まるで知らなかった。)
神社を事実上の国教化するために、明治政府は「祭教分離」という政策とった。
「祭教分離」とは、神社神道を「国家の祭祀」とし、仏教、キリスト教、教派神道等 の「宗教」から区別することをいう。・・・・中略・・・・仏教はキリスト教を「宗教」と認めて一定の「信仰の自由」を与える。(大日本帝国憲法大二八条 「日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たる義務に背かざる限に於いて信教の自由を有す。」)他方、神社神道は「国家の祭祀」であるから、どんな「宗教」を 信ずる者も日本国民であるかぎりその下にあり、その祭祀儀式を受け入れなければならない。(抜粋)
このカラクリにより、仏教界やキリスト教界も矛盾なく神道を援護するようになっていった。
著者は、靖国神社の非宗教化は危険な道であると警告している。


コメント