『プラハの古本屋』 千野 栄一 著、中央公論新社(中公文庫)、2025年
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
『プラハの古本屋』
読売新聞に、千野栄一の『プラハの古本屋』の記事が載っていた。何でもこの本は、静かなヒットをしていて、昨年に文庫本化されてから11刷5万8500部も売れているとか。
千野栄一というと、名著の『外国語上達法』で知られている。スラブ語学の研究者で、チェコのチャペック関係の著作もあったと思う。この『プラハの古本屋』ももちろん知っていたが、読んだことはなかった。なるなる・・・そんなに売れているんだったらと思い読んでみることにした。
『プラハの古本屋』を読み終った。ベストセラーになるはず、面白い本でした。まず、この本は、直接言語学に関係のない雑文を集めたものであると「あとがき」に書いてある。もちろん、言語学に”直接“関係ないといいっても、古本の話にしても、言語学研究のための古本収集だし、全く関係ない文章でもない。
また、初出一覧をみると、月報や大学の紀要、『図書』や『言語』、『図書新聞』などへの寄稿等々さまざまで、中には「サントリー広告」(沈黙の通訳)なんてのもある。その目的がさまざまなので、文章の中身も力の入れ具合もさまざまになっている。
そして構成は、3つの章、「I 沈黙の通訳」「II プラハの古本屋」「III カルパチアの月」に分けられている。もともとは『ことば・旅・古本』という題名を予定したということで、つまりは、I 章がことば、II 章が古本屋、III 章が旅にあたるようである。
ちなみに、『プラハの古本屋』という題は、集められたものの全体に目を通した結果、古本について書かれたところが面白いとかで、この名前になってしまったそうである。著者は、その名前が著者の恩師で古本探索の師匠でもある徳永康元の『ブダペストの古本屋』とソックリで、と恐縮していた。あまりにも恐れ多いので「古本のプラハ」という一文を追加して、せめて「古本のプラハ」にして貰えないかと、頼んだが「なんだかわかりにくい題ですね」で片付けられてしまったそうである。これはきっと『ブダペストの古本屋』にあやかろうという、編集者サイドの意向なんだろうと思う。
I 沈黙の通訳
ここでは、本書の冒頭を飾る「沈黙の通訳」が面白い。プラハの下町のビヤホールでの奇跡の一日を描いている。この話、文体も内容もそして結末までもどこか気取っていて、千野さんってこういう文章を書く人なんだ、と思った。しかし、他の話は普通の文体になっていて、何だろうと思っていたら、これサントリーの広告の文章なですね。どうりで、黒ビール飲んでたしね。
それから「小さなバイリンガリストたち」には感心した。著者の子供たちが、きちんとしたバイリンガルの育ったという話である。バイリンガルに育てるというのは、実はすごい難しいことであるという話をどこかで読んだ。もしかすると最初にちょっと書いた千野の『外国語上達法』かもしれないが・・・手元に本が無くってわからなかった。それはそれとして、バイリンガルつまり双方の言語をネイティブ同等に身に着けるのは、容易なことではなく、大抵はどちらか一方は、話せても読んだり書いたり苦手とか、になってしまうそうだ。そして、下手するとどちらもネイティブクラスにならないこともあるそうだ。そっそれだと、倍リンガルならぬ零リンガルですよね♬
まぁ、教育もあったんだろうけども千野自身は日本人でスラブ語学が専門の言語学者、奥さんは、チェコ人で大学でロシア文学とチェコ文学を専攻していたそうです。どちらもお互いの言語を普通に話すことができ、子どもに内緒の話はロシア語で話したということだから、それはそれは両親ですよね!きっと。
ただ、この両親が双方の言語を話すことは、バイリンガルに育てる上ではハンディなんだとここに書いてある。
バイリンガルの成功している場合の多くは、両親がそれぞれ自分の母国語を断固として使うケースが多い。(抜粋)
ここでは、その子供たちの成長の過程を追っているが、なかなか大変なものだと思った。
II プラハの古本屋
第二章は「プラハの古本屋」。ここでは、古本・古本屋、それからチェコの文豪チャペックがらみの話が集められている。
ここでの古本屋は、旧ソ連の衛星国で、当時まだ共産圏だったチェコをはじめとした東欧の古本屋である。面白いのは資本主義国の古本屋は需要と供給の法則で本の値段が上下するのに、共産圏の古本屋では、本は最初の定価の三分の一で古本屋が引き取り、三分の二で売るというルールとなることである。そうなると珍本の類は、古本屋を通さず個人売買も多くなる。そして、古本屋は古本屋で、きちんとした本は店頭には並べず奥の部屋においてある。本を収集している人は、何度も古本屋に通い店主と仲良くなり奥の部屋に入れるようになるかどうか勝負となるのである。ここでは、そのような個人的売買や古本屋での出来事、そうして集めた貴重な本の話がならんでいる。
もうひとつチェコの文豪チャペックの話ある。チャペックの著作としては『人造人間(ロボット)』『虫の生活』『山椒魚戦争』などの小説、戯曲、『長い長いお医者さんの話』などの童話、さらには『園芸家12ヵ月』などのエッセイなどがある。ここでは、チャペックの刑事コロンボ風の探偵小説『ひとつのポケットから出た話』や『長い長いお医者さんの話』に付け加わる童話があったという話などが、書かれている。ちなみにこの『長い長いお医者さんの話』に加わる童話があったとビックリしたという事件の後、自分の『ポケットのなかのチャペック』という本をみるとその旨が書いてあって、2度ビックリしたそうである。
III カルパチアの月
ここには千野の旅行記が集められている。多くは言語学の学会などで向かった先での出来事なので、言語学的な話も多い。
旅好きな著者は、ヨーロッパにいた時は、リュックサック一つであちこち出かけていたそうである。ここでもそんなヨーロッパの話が多いのであるが、一番興味深かったのが、日本の話・「沖縄の熱帯魚」である。
著者は沖縄に行く際に、あえて沖縄方言についての知識を入れなかった。それは、まだ学生時代の記憶のためである。ある日、言語学の主任のH先生が一本のテープを学生に聴かせて「どういう印象ですか、何を話しているか分かりますか?」と質問した。東京の山の手で育った著者は、まったく地方の言葉を知らなかったが、それでも何やら祭りのお料理の作り方を説明していることが分かったという。
「やっぱり分かるんですねぇ」とH教授は感にたえないような声を出されたが、‥‥(後略)・・・・(抜粋)
このようなことがあったため今回も先入観と予備知識なしに行くことにした。
著者は沖縄で、方言で上演される芝居を見ると、言語外の状況が良くわかるが、会話の内容は三割くらいしかわからなかった。しかし、芝居の終わりころには理解のパーセントが上がり、さらにもう一度、見に行くといろいろな理由からはるかによく分かるようになった。
日本語のように同系の言語を持たない言語では、遠い方言をきくことだけが、同系の言語を持つ話し手がその同系の言語に接したときにどう感ずるかを知る手がかりである。ちょうど私がこの芝居を見るのと同じように、ドイツ人はデンマーク語をきき、スペイン人はポルトガル語を感じ、ロシア人はブルガリア語を理解するのである。(抜粋)
関連図書:
千野 栄一 (著)『外国語上達法』、岩波書店(岩波新書)、1986年
徳永 康元(著)『ブダペストの古本屋』、筑摩書房(ちくま文庫)、2009年
カレル・チャペック(著)『ロボット』、岩波書店(岩波文庫)、1989年
カレル・チャペック(著)『カレル・チャペック戯曲集1』、海山社、2012年
カレル・チャペック(著)『山椒魚戦争』、岩波書店(岩波文庫)、1987年
カレル・チャペック(著)『新装版 園芸家12ヵ月』、中央公論新社(中公文庫)、2020年
カレル・チャペック(著)『ベスト版 ひとつのポケットからでた話』、晶文社、1997年
千野 栄一 (著)『ポケットの中のチャペック』、晶文社、1975年
目次
Ⅰ 沈黙の通訳
沈黙の通訳
その一語
壁
島
魚
スライムの終焉
津波のロンド
英語夜話
チェルニー博士訪問記
小さなバイリンガリストたち
Ⅱ プラハの古本屋
共産圏の古本屋・1
共産圏の古本屋・2
共産圏の古本屋・3
プラハの古本屋
続・プラハの古本屋
ほろ苦い喜び
ストラホフ図書館への招待
辞書との縁
チェコの匿名辞典
チャペックのコロンボ風探偵小説
もっと長い長いお医者さんの話
古本のプラハ・'87
三つのミニコレクション
Ⅲ カルパチアの月
アドリアの海から
ワルシャワの秋
沖縄の熱帯魚
雨のプラハ
ウィーンの四日間
カルパチアの月
初出一覧
あとがき
解説 「古本」との新たな出逢い 阿部賢一

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