『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』 坂口哲啓 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
序章 宗教的な、あまりに宗教的な――予備的考察
宗教哲学者であり、日本における民芸研究のパイオニアでもある柳宗悦(やなぎむねよし)は、昭和四年(一九二九)、ロンドンで始めてゴッホ絵を見たときの感動を「彼は苦しい文明に生まれた燃え上がる浄い魂だと思う」と語った(『欧米通信』中「第二信ロンドンより」岩波文庫『柳宗悦随筆集』二〇ページ)。柳のこのゴッホ評は、人間ゴッホとその作品の本質を見事に突いていると思う。(抜粋)
著者はこのように語り始めた。序章では、本格的にゴッホの人生をたどる前に、「浄い魂」、「自画像の持つ宗教性」、「ゴッホの作品を貫く三角形」に3つの節をたてゴッホとその絵画の持つ魅力の本質に迫ろうとしている。
まず「浄い魂」では、ゴッホの絵の宗教性について解説する。著者は、ゴッホの絵は宗教的であると言っている。しかしそれは、ゴッホが聖書の絵を題材にしているということではない、むしろゴッホはそのようなテーマを嫌った画家であった。
ゴッホは常に現実と正面から向き合って制作する画家だった。人物でも風景でも静物でも、ゴッホは自分の目の前にあるものを描いた。・・・・(中略)・・・・・ゴッホは、どこまでも現実にしっかりと足を据えて描く画家なのだ。そんな彼にしてみれば、聖書という信仰の書を安易に絵にすることはきわめて軽率な行為に思えたし、さらに言えば、彼のなかには、人間の信仰心は、なにもことさら聖書を題材にしなくとも、日常生活のさりげない情景のなかにこそ見出されるという信念があった。(抜粋)
次に「自画像の持つ宗教性」では、この宗教性について考えている。
著者は、ゴッホの絵の宗教性を考えるには「宗教的」という言葉の意味をはっきりさせる必要があるといっている。そして、
「宗教的」というのは、何か「特定の宗教や宗派に関係した信仰」という意味ではなく、人間の精神のあり方のことなのだ。(抜粋)
さらに「ゴッホの作品を貫く三角形」では、ゴッホの絵の本質を「神(自然)」を頂点にした「我(自由)」、「汝(愛)」を底辺にした三角形で表している。
ゴッホは、宗教的な画家[神(自然)]であるとともに強烈な自我を持つ画家であった[我(自由)]。しかし、それと反対に他者を愛さずにはいられない一面をも持っていた:[汝(愛)]。そして、ゴッホの基本要素は、この3点を持つ三角形であるとしている。
ゴッホという人間のなかには、三つのきわだった性格的特徴が分かちがたく結びついていることがわかる。まずひとつは自由への飽くなき要求。人から拘束されること極端に嫌い、画業でも生活でも自分の好きなようにやりたいという強烈な自我の主張。次いで、そんなわがまま自我が、困ったり苦しんだりしている人間を見ると放っておけないという他者への愛。そして、第三は、先に見たように、自己の本質をみきわめ尽くそうとして、自己を超越する高みへと上昇しようとする精神のあり方。この三つの性格的特質が、人間ゴッホを形づくっている基本要素である。(抜粋)
関連図書:柳宗悦(著)『柳宗悦随筆集』、岩波書店(岩波文庫)、1996年
コメント