『ファンタジーに秘められた宗教』 中村 圭志 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第⑥回 『火の鳥』『風の谷のナウシカ』 現代日本の死生観(前半)
『ファンタジーに秘められた宗教』、第⑥回の『火の鳥』『風の谷のナウシカ』の放送を見ました。放送では、手塚治虫の『火の鳥』が8割がたを占め、その手塚の大きな視点を研ぎ澄ました形として宮崎駿の『風の谷のナウシカ』が語られていていました。『風の谷のナウシカ』はアニメを見たかな?という程度で、『火の鳥』に関しては、全く読んだこともないのでしたが、内容の紹介もあり、なかなか面白かったです。『風の谷のナウシカ』に関しては、アニメ版でなくコミック版でストーリーが紹介されていました。
今回の放送は、司会は宗教学者で僧侶の釈徹宗、そして、著者の中村圭志とゲストとしてタレントの渡辺満里奈の三人の対話形式となっていました。
放送では、『火の鳥』と『風の谷のナウシカ』のみで構成していましたが、本書では、それに加えて新海誠の作品が取り上げられています。”前半“で『火の鳥』を”後半“で『風の谷のナウシカ』と新海誠の作品に分けてまとめることする。それでは読み始めよう。
日本の漫画、アニメーションと「生と死の哲学」
第⑤回では、戦後の英米における宗教性の高いファンタジー文学『ナルニア国物語』・『ゲド戦記』・『ハリー・ポッター』が取り上げられた。第⑥回では、戦後日本の漫画やアニメに注目し、その宗教性について考察している。ここでは、手塚治虫、宮崎駿、そして新海誠を取り上げられている。
手塚治虫は、戦後すぐにデビューし、日本の漫画界と初期のアニメ制作をけん引した。彼の作品は、文庫版の全集が全二〇〇巻にもなり、その領域もSF冒険ファンタジー、少女向け、宗教もの、医療ものと幅広い。
手塚のテーマの中心には、生命と文明の運命に対する問いがあります。生の光と闇を常に見据える洞察の深さが、手塚ワールドを宗教的なものにしています。(抜粋)
ここでは、それが典型的にわかる『火の鳥』が取り上げられる。
宮崎駿は、スタジオ・ジブリを代表する映像作家である。宮崎の作品は、一貫して戦争の愚を描き続けている。今回は漫画版の『風の谷のナウシカ』が取り上げられている。
新海誠は、次世代を代表するアニメーション作家である。彼の作品には一貫した主題があり、今回取り上げられている『すずめの戸締り』は、多くの命が失われたトラウマ問題と向き合うものである。
日本の漫画、アニメーションに共通するのは「生と死の哲学」である。前回の『ハリー・ポッター』では、死の不条理を取り上げられているが、手塚や宮崎にとってそれは、まず戦争の惨禍と結びついている。そして新海作品ではそれに相当するのが東日本大震災の記憶である。
手塚治虫 — 原点にある戦争体験
手塚治虫は一九二八年生まれである。彼は終戦直後に大阪帝国大学付属医学専門部に合格するが、医師ではなく漫画家の道を歩んだ。
手塚は、大阪大空襲で九死に一生を得る体験をした。そして、この体験について「これは、この世の現象じゃない。作り話だ。漫画かも知れない」と描いている。手塚の漫画にある戦争や文明破壊のモチーフは、この空襲体験の実感に由来するものである。
また初期の作品から人工生命体やロボットという生命と機械という二つの側面を併せ持つ存在が登場する。このような両義的な主人公も特徴である。
二つの世界を行き来する中間的な存在というのは、大人の知恵と子供心を併せもつ漫画家・手塚治虫の自画像であると考えられます。戦時中も戦後もしがらみの思考の中にある日本の因襲性と、原水爆を生み出した世界の近代合理性との間で模索を続けた世代の自意識の反映であると解釈できるでしょう。(抜粋)
『火の鳥』 — 生命への問いかけ
『火の鳥』は、遠い過去と遠い未来の両方が交互に舞台となる、異色の歴史ドラマです。(抜粋)
最初の「黎明編」は、邪馬台国などの諸国が興亡を繰り返す三世紀の日本を、次の「未来編」は、西暦三五世紀の最終戦争と、その後に地球の生命が出現し人類文明が再出現するまでの三〇億年を舞台としている。後に刊行された続編も、日本史のどこかの時代とSF的な未来の物語が交互に描かれている。どれも基本的な構成は同じで
過去における部族社会でも、未来におけるテクノロジー社会でも、人間のやっていることに倫理的進歩はない。文明の進歩は、破局を生み出す危険性を秘めているのではないか ---- 。(抜粋)
ということを表現している。
火の鳥は、幾度も甦る特別な生命体で、永遠の生を持つ、神のような存在である。「黎明編」では、火の鳥の生き血を飲むと永遠の生が得られるため、権力者たちがこぞって追い求める。反対に「未来編」では、火の鳥が一人の人間を選び、死ぬことができない永遠の生命を与える。彼は核戦争後に消滅した生命が再進化するのを何十億年も見届けなければならない。人が不死になれない一方、近未来では一人の人間が不死になることの孤独と苦悩を味わい続けるのである。
これが意味するところは、人間存在と永遠性は相容れないことである。ここには、「死すべきもの=人間」「不死のもの=神(火の鳥)」という対比がある。
永遠性が得られないから、人間は代償として文明を進化させ、その文明が自らの欠陥によって地球そのものを滅ぼしてしまうのです。(抜粋)
著者は「火の鳥」には様々は思想の影響があると指摘している。すなわち
- 過去から未来まで人類の失敗の歴史という視点 ・・・ 聖書的
- 世界に時間的な終わりがない ・・・ 仏教的
である。
『火の鳥』の宗教性
著者は、手塚の『火の鳥』について、
大事なことは、手塚が『火の鳥』を通じて深い宗教的な洞察をもつ歴史観を打ち出したことでしょう。(抜粋)
と言っている。
手塚の歴史観は、倫理的な転落の闇を常に見据えているという意味で、罪を戒めるキリスト教や煩悩を戒める仏教に似た、宗教的な意味のある歴史観である。その宗教は、「生命と何か」「生命はなぜ闘争するのか」「生命の一形態である人間の文明はなぜ破滅へと向かうのか」を常に問い続けている。
関連図書:手塚治虫(著)『火の鳥』全14巻セット、KADOKAWA〈角川文庫〉、2019年

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