『キリスト教入門の系譜』 岡本 亮輔 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第4章 暁の星の司祭二人 ―― カトリック知識人の登場(その2)
今日のところは「第4章 暁の星の司祭二人」の“その2”である。前回の“その1”では、カトリックの教義をプロテスタントと比較して解説された。それを踏まえて、ここでは二人のカトリックの知識人とその著書が紹介される。まずは岩下壮一である。それでは読み始めよう。
真なる教会の守護者 — 岩下壮一
岩下壮一の生立ち
岩下壮一は、銀座に生まれフランスの修道会が設立した暁星中学に進学した。彼の父は三井物産に勤め、退職後は様々か企業の創業・経営に参画した財界人であった。暁星中学では、優秀な成績をおさめ、学内の礼拝度でエミール・エック司祭から洗礼を受け、フランシスコ・ザビエルという洗礼名授かった。
その後、岩下は、エック司祭の勧めで哲学を志し、第一高等学校に入学する。当時は、煩悶する学生(ココ参照)の多くが新渡戸稲造校長に感化され、内村鑑三の門下となったが、彼はその流れになびかず、数名の仲間とカトリック研究会を組織した。そして帝大哲学科に進学し優秀な成績で卒業する。
彼が大学院のとき、父が頭取だった銀行が破綻し、背任・横領で告発された。一年たたずで出獄するものの、静岡に隠遁してしまう。経済的支援を失った岩下は、大学院修了後に鹿児島の第七高等学校に英語教師として着任する。四年後に文部省派遣の留学生としてヨーロッパに赴き、神学校に進んだ。そしてヴェネチアで司祭に叙階され、日本に帰国すると出版人として活動を始めた。
岩下壮一『カトリックの信仰』とその主張
当時、カトリックの勢力はプロテスタントに比べて弱く、内村鑑三の無教会主義に対抗して、知識人層にカトリックを広げることが課題となっていた。岩下は、カトリック研究社を創業し、各種の書籍や雑誌を刊行した。さらに人材育成のために講演を重ねる。
そして、学生向けの講演の話をもとに『カトリックの信仰』を出版した。これは、教育的であるが、当時の論争の色合いを持っている。岩下は、なぜ教会制度が必要なのかという問いに、紙である紙幣が価値を持つのは、政府や日本銀行の保証があるからであるように、信仰の正統性を保障するのがカトリックの教会制度であると説明した。
プロテスタントの個人主義的な信仰には制度的な裏づけがないが、カトリック教会は、長年の歴史と伝統を根拠に信仰を保障する。(抜粋)
そして、自然科学も保障なきものとして批判した。生命の誕生に対しては進化論、太陽系の起源に対しては星雲説、が広まっているが、どちらも「実験も証明もできぬ想像説」だと退けた。生命の誕生は奇跡なしでは説明できない、だからこそ聖書の奇跡を信じるべきだと主張した。
岩下の議論の根底には、カトリック教会の伝統と秩序への強い自信があった。
岩下のカトリックと無教会主義への批判
岩下は、プロテスタントを素朴な体験主義と考えた。プロテスタントでは、自身の体験や洞察を元にした信仰を考えるが、そのような体験などどこにでもあると批判する。むしろそのような体験を越えたところに真理があり、それを示すのが教会組織である、とした。
主観的な体験に依存せず、歴史と伝統に裏付けられた真理を示す --- だからカトリックが唯一正統な教会である。(抜粋)
このような考え方からすれば、内村鑑三のグループも「小法王に統率された似而非カトリック教会」に過ぎない。岩下が帰国したころ、内村の無教会主義はエリート層を中心に無視できない勢力になっていた。
そのため『カトリックの信仰』の後半は、内村一派の不都合な真実、内村門下からカトリックへ改宗した人々について書いている。岩下は、内村のもとを去る弟子には、「左傾派」(やがて宗教全般を否定)と「右傾派」(カトリックへの改宗)であるとする。このうち「左傾派」には、小説家の「正宗白鳥や有島武郎がいる。
そして、「右傾派」の代表は、参議院議員、文部大臣、最高裁判所長官になる田中耕太郎がいる。田中は無教会主義に魅了され、「生粋の内村宗」と自任するほど内村に心酔していた。しかし、三〇代半ばで破門される。発端は、内村門下の石川鉄雄の再婚問題だった。石川の再婚相手は、既に破綻しているものの夫がいた。そして、正式に離婚した後、田中が媒酌人を務め石川は再婚した。これに内村が激怒し、再婚は聖書に反するとして、田中と石川を破門したのである。
田中は、そもそも無教会主義では、聖書の解釈権は各自にあり、内村の結婚観を押し付けられる筋合いもないと反発する。そして田中は無教会の矛盾を看破できず離反した。その後、田中は、帰国したばかりの岩下に洗礼の立会人である代父を頼んで、カトリックの信者となった。
岩下と塚本の論争
『カトリックの信仰』には、岩下と内村塾の師範代であった塚本虎二が繰り広げた論争についても書かれている。この論争は、マタイの福音書にある「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」という一節について争われた。ペトロは一二使徒のリーダー格で、その名は、「岩」を含意している。そのため「岩の上の教会」とは、ペトロを初代教皇とするカトリック教会のことを指すと考えられ、それがカトリック教会の正統性の根拠となっていた。
これに対して塚本は、学術的な聖書研究を参照して、この部分はイエスの実際の言葉ではなく、後世の加筆の可能性があると指摘した。また、岩はペテロ個人を指すか、使徒全員を指すか、信仰告白を指すか、様々な解釈が可能であると述べた。
これについて岩下は反論した。塚本は、学問に拠って聖書の史実と伝承を選り分け、前者を信じるべきだと言っているが、そもそも、内村の無教会主義は、聖書を唯一の権威として、文字通りに信じるのではなかったか、と批判した。この論争の勝敗は誰の目にも明らかであったと、著者は言っている。
岩下は、無数の主観と体験に揺さぶられるプロテスタントの脆弱性をえぐり出し、客観的に真理を示すカトリックの優位性を論証したのである。(抜粋)
そして、後に塚本自身も内村から絶縁をされ、独立を余儀なくされる。岩下は、このような内村一派の分裂は、聖書を教会から切り離したツケであると批判した。
岩下の『カトリックの信仰』は、論理の鋭さでも、実際に多くの転向者を出した点でも、無教会主義を厳しく追いつめた名著である。(抜粋)
関連図書:岩下壮一(著)『カトリックの信仰』、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2015年

コメント