『三国志曼荼羅』 井波 律子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第一部 — 三国時代の詩人たち(後半) — 曹操、曹丕、曹植
今日のところは、「三国時代の詩人たち」の”後半“である。”前半“では、曹操の詩人としての功績を建安文学の発展と共に追った。そして今日のところ”後半“では、曹操の息子曹丕・曹植の詩人としての功績についてである。兄弟は曹操と共に建安文学の中心的存在であり、曹丕は、七言詩の先駆者、曹植は、唐代以前の最高の詩人と称えられる。それで読み始めよう。
七言詩の先駆者、曹丕
詩人曹丕の評価と七言詩
弟の曹植に比べればやや見劣りがするものの、曹丕の詩人としての素質もなかなかのものがある。(抜粋)
現存する曹丕の詩は約四十篇でその大半が楽府体である。内容は、古楽府以来の類型的なテーマやモチーフを踏襲したもので、作者自身の思いを形骸化したものであるとはいいがたいものである。
内容的には見劣りするが曹丕の文学的な才能は、別な方面、つまり詩の形式の発展にある。
曹植を含む他の健安の詩人が五言詩のジャンルの創作に集中したのに対して、曹丕は当時としては珍しい七言詩の制作をするなど、自覚的な方法意識と形式への配慮をもって詩作を行った。
七言詩は、唐時代になって本格的に取り上げられる形式であり、曹丕は、飛びぬけて古い時代における、先駆者となっている。
曹丕の七言詩「燕歌行」
ここで著者は、七言詩の例として、曹丕の「燕歌行」を引用して、それを解説している。
この「燕歌行」をはじめとする曹丕の詩は、構成が合理的であり、方法意識に優れている。しかし、理に勝ちすぎ、合理性が先行するために、どうしても詩的イメージの飛躍や感情の高まりに欠けるところがある。
その点で、弟曹植にひけをとることになってしまったのである。父の曹操と比べても、精緻な点では曹丕のほうが圧倒的にすぐれているが、力強さにおいては、やはり曹操のほうがまさっている。(抜粋)
曹丕の文学理論・文学評論
冷静で理性的な曹丕の性格は、詩の分野ではやや欠点となったが、文学評論・文学理論の分野でははなはだ有効だった。曹丕の書いた『典論』は、中国最古の文学評論である。その中に見える「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」という言葉は、文学の独立性を明確に定義した記念すべき発言である。また彼は呉質との手紙の中で、同時代の文人たち対して客観的で的確な評論を加えている。
この曹丕という醒た精神は、表現対象に自己移入し昂揚した感情を歌いあげることよりは、むしろ対象と距離を置いて、その貌を理性的に見きわめることに向いていたのかも知れない。(抜粋)
唐代以前の最大の詩人、曹植
曹丕と曹植の争いとその運命
曹植は、健安文人の中で群を抜く存在であるのみならず、唐代以前における最大の詩人と評価されている。こうした詩人としての評価とは裏腹に後半生は悲劇的なものであった。
その運命は、兄の曹丕との後継争いに敗北したことにより決定的となった。曹操は、文学的才能にも恵まれ、さっぱりとした性格の曹植の方がお気に入りだった。そのたため、曹丕と曹植はライバルとして激しく後継争いを行った。しかし、多くのものが曹丕支持に回ったため、曹操は曹丕を跡継ぎとすると決断した。
曹丕は、曹操の死後九か月にして、後漢王朝から禅譲を受けて魏王朝の皇帝(文帝)となった。しかし即位後も曹植への警戒を解かず、逆境のどん底におとしいれた。
曹丕の曹植への非常な仕打ちは小説的な逸話となっている。その中には、七歩歩く間に詩を作らなければ処刑すると脅され、即座に詩を作って見せたという「七歩の詩」のエピソードがある。また二人の争いの陰には曹丕の妻である美貌の甄夫人(ココ参照)がいたという説もある。曹丕の即位の翌年に自殺した甄夫人の死のいきさつには不可解な点があり、彼女と曹植との間を嫉妬した曹丕により殺されたという噂が当時からある。
曹丕が即位後六年で病死した後、曹丕の息子明帝(曹叡)が即位したが、曹植の運命は好転せず、流刑のような状態が続き、四十一歳で憤死に近い状態で亡くなった。
曹植の詩・「七哀」
皮肉なことに、実生活における曹植の悲劇は、天性の抒情詩人曹植の感受性をますます尖鋭化し、彼が詩人として大成するための絶好の触媒となった。(抜粋)
曹植の詩は、他の健安の詩人が設定される場面や用いられる比喩が常套性を免れないのに対して、独特の趣がある。類型的なテーマやモチーフを用いても、その詩の中にみずからの情念の高まりをイメージ化し、鮮烈に歌い込み曹植独自の世界を作っている。
ここで著者は、曹植の「七哀」を長文引用し、その詩の技巧や内容を紹介し、次のように評して言いる。
この「七哀」に特徴的な疾駆するようなスピード感と緊迫感は、他に類を見ないものである。まさに曹植の詩においては、悲しみさめもが骨太く疾駆する。こうしたスピード感と緊迫感は、「流光」「風」といったそれじたい動的な素材を用いて、表現対象を静止した状態ではなく、まさにその動の姿でとらえる手法によって増幅されている。(抜粋)
そして、これを曹丕の「燕歌行」と比べ、その差異は歴然としているとし、
「燕歌行」の展開はいかにも理詰めで緩慢、「七哀」の迫力には及ぶべくもない。(抜粋)
と評している。
この曹植において詩は、民間歌謡から脱却し、固有の自己表現の場へと転換した。梁の鍾嶸の『詩品』では、詩人を「上品」「中品」「下品」の三段階に分類しているが、曹操は「下品」、曹丕は「中品」、そして曹植は「上品」となっている。著者は詩の完成度からするとこの評価は妥当であるとしている。
ともあれ後漢末の転換期、それぞれの文学的資質に合わせて、競うように大輪の花を咲かせた、曹操親子の才能とエネルギーには、ただ驚嘆するほかない。(抜粋)
初出掲載誌:「歴史読本ワールド」九〇年七月、神人物往来社+「歴史群像」九三年二月、学研)

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