天使が舞い降りた岩山 — Mont Saint-Michel(モン・サン・ミシェル)
池上 英洋 『フランス 26の街の物語』より

Reading Journal 2nd

『フランス 26の街の物語』 池上 英洋 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

Chapter 4 世界遺産を歩く / 天使が舞い降りた岩山 — Mont Saint-Michel(モン・サン・ミシェル)

「Chapter 3 歴史の断面」が終わって、今日から「Chapter 4 世界遺産を歩く」である。ここでは、フランスの代表的な世界遺産がその逸話と共に取り上げられている。。  


モン・サン・ミシェルの始まり

モン・サン・ミシェル「聖ミカエルの山」を意味する。もともとはガリア語でトンブと呼ばれた岩山があるだけだったが、見渡す限り真っ平な沼地の海岸にたつその巨大な岩山は、人々に畏敬の念を抱かせた。

そして、七〇八年、近郊の街の司教オベールが、夢の中で大天使ミカエルから、トンブの岩山を自らに捧げよと啓示を受けた。しかしオベールはただの夢だと気にしないでいたところ、怒った天使はそれから三度夢にあらわれ、死後に司教の頭に指を突きとおした。おののいた司教がいわれる通りに岩にのぼると、頂上にお告げのとおりに一頭の牛がいた。そして、この奇跡を通じて近隣の人々も建設に取り掛かった。これが修道院の創設にまつわる神話的な言い伝えである。

また、伝承のなかには、頂上に巨大なメンヒル(巨石)が置かれていて、誰もが取り除けず困っていたところ、ひとりの幼児がヒョイと持ち上げてしまったというものもある。この伝承の興味深いところは、メンヒルが置かれていたことは否定できないということである。カナックの節にあったようにガリア人は自然のさまざまな現象や特殊な地形を神域としていて、この岩山も信仰の対象であったことは十分考えられる。

また、隠修士がここを隠遁の場としていた可能性もある。おそらくこうした隠修士のほこらを基礎に徐々に住む人が増え、ベネディクトゥス修道会が修道院を建てることにより一気に拡張したものと思われる。

要塞化するモン・サン・ミシェル

モン・サン・ミシェルは、急こう配の岩肌に囲まれその修道院は、難攻不落の要塞ともなった。そのため、ノルマンディーにやって来たノルマン人とフランク王国の間で領有が争われ、買ったフランス王は拒否を投じて要塞化を進めた。こうして一三世紀前半におよそ現在の姿となる。さらに同様の綱引きが百年戦争においてもイギリスとフランスの間で繰り返され、修道院は攻撃を受け、補修と拡張がくりかえされる。

さらにこのモン・サン・ミシェルにルイ一一世は、牢屋という新たな使命を課した。

特に重大な政治犯を収監するための金属製の「鉄の檻」とよばれる大きな独房が設置された。天上から吊るされた檻は、中で囚人が動くたびに鈍い金属音を修道院中に響き渡らせた。その後は終身刑の受刑者が閉じこめられて死を待つ地という暗いイメージで語らえるようになる。(抜粋)

モン・サン・ミシェルの価値の発見

このような北の海にそびえる岩山と、信仰と死のイメージはロマン主義者たちの創作意欲を大いに刺激し、多くの作品で取り上げられていった。そして、一九世紀後半になるとその史的価値美的価値が認識され、大々的な調査と修復が始まる。頂上にある聖堂の尖塔の先端に大ミカエルのブロンズ像が設置されたのもこの時期である。

モン・サン・ミシェルは、川と海からの波とで運ばれた土砂や漂流物の影響を免れることはできない。そのため一九世紀後半には、建築史家でもあるヴィオレ=ル=デュクが岩山周辺の治水整備のため巨額な予算を政府に要求している。これは同世紀末に着工された。

モン・サン・ミシェルはそれ自体が自然の創った偉大なかたちであり、人々が積み重ねてきた文化的遺産であり、また同時に国と当該地方にとって重要な観光資源でもある。いつの時代にも、このような遺産をどうすれば最善の形で後世に伝えていけるのかが問われ続けている。(抜粋)

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