『ハリー・ポッター』
中村 圭志 『ファンタジーに秘められた宗教』より

Reading Journal 2nd

『ファンタジーに秘められた宗教』 中村 圭志 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

第⑤回 『ナルニア国物語』『ケド戦記』『ハリー・ポッター』 移り変わる宗教売信(後半)

今日のところは、『ファンタジーに秘められた宗教』の第⑤回『ナルニア国物語』『ゲド戦記』『ハリー・ポッター』の”後半“である。この章は、西洋の3つの長編ファンタジーを考察し、西洋の宗教観の変遷を追っている。”前半“では、一九五〇年代に伝道の書として書かれた『ナルニア国物語』と一九六〇年代以降のカンターカルチャーの影響を受けている『ゲド戦記』を追った。そして、”後半“では、カウンターカルチャー以降の代表として『ハリー・ポッター』が取り扱われる。

著者は、『ハリー・ポッター』が、差別や死などの不条理を扱っていることに、強い宗教性あると主張している。それでは、読み始めよう。

カンターカルチャー以降を代表するファンタジー『ハリー・ポッター』

前回の最後(ココ参照)に書かれているように、カウンターカルチャー以降の世界の宗教観は、正当な宗教の批判とともに瞑想や呪術、オカルトのような新たな宗教観が台頭してくる。そして九0年代以降のそのような新しい動向を代表する作品が、J.K.ローリング『ハリー・ポッター』である。

『ハリー・ポッター』は、呪術的な魔法などのオカルト的要素が多く、カンターカルチャー的な様相を示している。一方、均衡で世の中が平和になるというような楽天性は影を潜めている

むしろ人生の不条理や、敵意や対立や分断が広がる仕組みを詳細に描くというところに特徴があります。(抜粋)

しかし、『ハリー・ポッター』は、神への信仰などの描写がまったくないが、最終的には読者が聖書に関心を向けることができるような工夫がなされている

『ハリー・ポッター』シリーズ、全7巻、原書で三五〇〇ページの超大作だが、全巻が一貫したストーリーとなっている。

第一作である『ハリー・ポッターと賢者の石』は、ヒーローものであり、主人公の成長物語であり、学園ドラマであり、ユーモアに満ちた会話が楽しい「大衆小説」である。これは『ゲド戦記』を読んだ世代には、思想的に後退したと感じられ、当初は否定的な意見も多かった。しかし、しだいに社会派ドラマとしての側面が見えてくると、すぐれた作品として読みなおされ、批評家の間でも、信仰者の間でも、評価が高まった。

ハリー・ポッターに現れる差別の構造

巻を追うごとに、この作品が単なる英雄ファンタジーではないこと、むしろ魔術能力が社会の宿痾しゅくあである差別構造の淵源えんげんとして批判的に描かれていることがわかってきたのです。(抜粋)

『ハリー・ポッター』での魔法は、現実世界での技能や技術の比喩となっている。そして、魔法を駆使できる者と出来ない者の間には、現実世界と同じように差別がある。『ハリー・ポッター』では、現実世界にある人種や民族、宗教、性別をもとにした差別を、作品中では、「魔法の能力を巡る差別」に仮託して象徴的に描いている。

この世界では、魔法の使えないふつうの人間を「マグル」と呼び、魔法使いの家に生まれながら魔法能力が無い者を「スクイプ」と呼び差別している。ハリーの友だちのロンは、魔法族の家に生まれながらほとんど「スクイプ」である。反対にハーマイオニーは、優秀な魔法使いであるが、マグルの両親から生まれているためけがれた血」と呼ばれ、激しい憎悪を向けられる。その他、リービン教授(狼男)やハグリッド(「半巨人」の血を引く)も差別の対象となっている。

これらすべて、私たちの社会の差別構造を教えてくれる重要な思考実験となりえます。(抜粋)

死と不条理へのまなざし

しかしながら、『ハリー・ポッター』の真に奥深いところは、社会的な差別構造を超えた、世界のあり方そのものに根差す根源的な理不尽さ、あるいは不条理の問題にも目を向けている点です。(抜粋)

著者はここに焦点を当てている点で『ハリー・ポッター』は宗教的なファンタジー文学となっていると指摘している。

この理不尽さは、合理的な解決を超えるところにあり、まさに神や来世の救いに頼むしかないような問題である。その際たるものが、不運な死である。その他にも「スクイプ」のような者も大勢いる。このように世界の根底にある不条理さが『ハリー・ポッター』では描かれている

ダンブルドア校長は、世界の根底にあるこうした不条理ゆえに、あらゆる者への愛を忘れないようにと説きます。(抜粋)

この愛は、他者に対して善行を行くことだけでなく、人間の限界に対する深い共感と共鳴おも含み、それが作者の、作品のメッセージとなっている。

宗教に批判的な立場からは、人間に限界があるからといって、宗教を持ち出すのは疑問がある。なぜならば、神は人間に正義や公正さを求めるのに、神自身は、何の落ち度のない人間に苦痛を与えるなど不条理なことをするからである。

ローリングが作品の中で宗教を持ち出すことを避けている理由も、この点にあるのではないでしょうか。(抜粋)

ローリングの信仰

ローリングは、若いころから宗教に関心があった。彼女の母親は、多発性硬化症にかかり四十代でなくなった。ローリングはこのことにより理不尽さということを強く感じた。

ローリングは、読者に理不尽さや死という宗教的な問題を提示するが、一方、特定の宗教や宗派に導くことをしないと決めた。それは、個々の信仰がたとえ不信仰に傾いても、それが戻ってくることを信じる、個々の問題を巡って宗教の教えに懐疑を抱くプロセスに対して開いた形の信仰を持っているからである。

『ハリー・ポッター』では、基本的にキリスト教を思わせる記述はない。しかし『ハリー・ポッターと死の秘宝(上)』においてダンブルドアの墓碑銘とハリーの両親の墓碑銘という形で聖書の言葉が紹介され、一種のなぞかけとなっている。

作者はこの謎かけかけから聖書に関心を抱いてくれる読者が現れることを期待していたはずです。(抜粋)

ハリーの両親の墓碑銘にある「最後の敵として、死が無力にされます。」は「世界の終末において神が死を滅ぼす」という意味で、この世の次元を超えた救済であるという、作者の信仰の実感を表わしているのだと思われる。

「宗教的な問題」を提示するファンタジー

最後に第⑤回のまとめが書かれている。

第⑤回では、英米のファンタジーの変遷をたどることにより、現代西洋の宗教の状況を概観した。五〇年代の『ナルニア国物語』では、キリスト教の教理が説かれ、六〇年代の『ゲド戦記』では、キリスト教的思想と相対化する思想が適された。そして、九〇年代の『ハリー・ポッター』では、特定の宗教ではなく、宗教的な問題意識の重要性に焦点が当てられた

ローリングが取り上げたのは、具体的な宗教の問題ではなく、差別問題や死という人生の不条理であった。それを、深く考えることが特定の宗教の教理を教える事よりも大切だと彼女は考えた。


関連図書:J.K.ローリング(著)『ハリー・ポッター』全7巻、静山社、1999-2008年

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