[再掲載]「文化の問題」
高橋哲哉 「靖国問題」より

Reading Journal 1st

「靖国問題」 高橋哲哉 著
[Reading Journal 1st:再掲載]
 (初出:2005-06-30)

第四章 文化の問題 - 死者と生者のポリティクス

この章は、靖国と文化の問題を取り上げている。前節までとは違いちょっとわかりづらい。

ここでも、最初に、はじめに書いてある著者の要約を抜き出しておく。

第四章の「文化の問題」では、江藤淳の文化論的靖国論を批判的に検証するとともに、文化論的靖国論一般の問題点を明らかにする。(抜粋)

本文にもどると、まず

靖国を「日本の文化」と捉える見方は、奇説珍説の類を含めて数多い。(抜粋)

と著者は言っている。ようするに奇説珍説は無視するということである。
しかし、文芸評論家の江藤淳の論考は無視できないようだ、ここでは、もっぱら江藤の論考への反論をする。
(「生者の視線と死者の視線」江藤淳・小堀桂一郎編『靖国論集ー日本の鎮魂の伝統のために』一九八六年、日本教文社、所収)

江藤淳の論考については、長い引用の後に著者がまとめたものを、引用しておく。

日本の国土、日本人の見る風景、日本人の日々の営みのすべてに現前している「死者 との共生感」。これこそ「日本文化の根源」であり、「日本の国柄そのもの」の根源にある「非常に重要な感覚」であって、首相は天皇の靖国神社参拝も、こう した「日本文化の根源」からこそ根拠づけられるべきなのだ。(抜粋)

江藤の論考は、文化論的靖国論として、最も洗礼されたものであると評価し、そして、著者の反論がはじまる。

そもそも、江藤の論の大前提、・・・・中略・・・「日本文化」なるものがあり、その「根源」は「死者との共生感」だ、という前提そのものが決して自明のものではない。・・・中略・・・
 しかし、ここでは仮に江藤の大前提を大筋で認めたとしてみよう。・・・・中略・・・・だがその場合にも、根本的な疑問が残る。それは「死者との共生感」がなぜ靖国という形をとらなければならないのか、その必然性がまったく不明であり、根拠に欠けるということである。(抜粋)

著者の反論は、以下の三つのである。

  • 第一に、戦死者との共生感が靖国という形をとらなければならない必然性はない
  • 第二に、文化としての「死者との共生感」を言うなら、なぜ靖国は日本の戦死者のなかでも軍人軍属だけを祀り、民間人戦死者を祀らないのか。
  • 第三に、戦死者との交感を言うなら、なぜ靖国は敵側の戦死者を祀らないのか。

第三の点は、日本においては、敵味方の区別無くその魂を慰めるような事も広く行われていて、敵側の戦死者を祀らないようなことは、決して日本的でなく、むしろ西洋的・中国的である事を多くの紙面を使って解説している。

最後に著者は、以下の言葉を持ってこの章をむすんでいる。

靖国神社の「祭神」は、単なる「戦争の死者」ではない、日本国家の政治的意思によって選ばれた特殊な戦死者なのである。(抜粋)

コメント

タイトルとURLをコピーしました