『忙しい人のための美術館の歩き方』 ちいさな美術館の学芸員 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第5章 結局、美術館に行く意味って何? 1 現代病の処方箋としての美術館
今日から、いよいよ第5章「結局、美術館に行く意味ってなに?」に入る。本書の冒頭(ココを参照)で、「最初にいっておきます。本書の肝は最終章の第5章です」とあるように、ここが最大の山場である。著者が思う美術館に行くことの意味について書かれている。
第5章も、節ごとにまとめて行くことにする。今日のところは「現代病の処方箋としての美術館」である。それでは読み始めよう。
第1章で美術館はタイパの真逆であるという話をしましたが、本書の締めくくりとなる第5章では、あらためて美術館に行く意味をいくつかの視点で考えたいと思います。今この時代における美術館の存在意義に迫ります。(抜粋)
休むことのできない現代と美術鑑賞の意味
ここで著者は、漫画の『ひらやすみ』を引き合いに出す。そして、そのなかで主人公が言う「全部に意味がなきゃ、ダメなの!」という言葉を取り上げている。この言葉には、現実的な成果を求めて休むことのできない今の時代の空気が感じられる、と著者は言っている。
そして、この「休むことのできない現代の空気」から美術鑑賞の意味を考えている。
美術鑑賞とは、そんな意味が無いことを肯定する行為という見方もできます。(抜粋)
休むことのできない現代の中で見失いがちなものを取り戻す、癒しの時間になり得るのである。
コロナ禍で気づいた美術館の存在理由
現在は、美術館の存在意義に向けられる視線が厳しくなっている。著者もそのような美術館の意味や意義を考えることも多い。著者にとってコロナ禍の数年間がそのような自問自答をする機関であった。それが、前著『学芸員しか知らない美術館が楽しくなる話』や本書につながっている。
コロナ禍の時期に、「不要不急」という言葉が連呼されるようになると、美術館・博物館は軒並み休館となる。このとき、著者は、「美術館なんて無くても誰も困らないんじゃないか」「美術や芸術は人の心に余裕があるときだけあればよいのではないか」と不安に駆られたと言っている。
私はハッとしました。そして美術館の存在理由が見つかった気がしました。美術は、人の心に余裕がないと楽しんでもらえない。それは否定しません。逆に言えば、美術館がどんな時でも変わることなく展覧会をやっている。そのことが、人の心に余裕を取り戻す助けにもなるのではないでしょうか。(抜粋)
タイパの呪縛からの解放
現代人は、日々過ごすなかで、常に切迫感のようなものを感じている。それはコスパのみならずタイパの呪縛に囚われているからである。今の時代、何より貴重なものは時間である。そのため何もしない時間は落ち着かず耐え難いものになってしまっている。しかし、それに嫌気がさしても、一度タイパの意識が染みつくと、そう簡単には抜け出せなくなってしまう。
しかし、著者は、このタイパの議論で、一つ見逃されていることがあると言っている。
それは「時間が伸び縮みする」ということです。(抜粋)
つまらない会議が長く感じるように、時間の進み方は遅くもなるし、早くもなる。これはタイパの概念を根源から揺るがす事実である。
そこで、ポジティブな方向で時間がゆっくり流れる空間を探す必要がある。そのような空間の一つに美術館がある。この美術館では時間がゆっくりと流れている。その理由としては、まずその静寂さであると著者は言っている。さらに、展示室で向き合う作品にも理由がある。美術館に並ぶ作品は一点一点、膨大な時間を使って製作されている。そしてそれを見る私たちは、無意識のうちにその膨大な時間を追体験し感動するのである。
美術館で作品を眺める時間が現実には1分間であったても、その1分の中で鑑賞者の意識は作品とともに果てしなく拡大していると考えれば、美術館で時間の流れが変わるように感じるのは至極当たり前のことに思えてきます。(抜粋)
まずは美術館に足を運び、時間の流れが環境によって変化することを体感すれば、気づいた時には、タイパの呪縛から抜け出しているでしょう。
関連図書:
真造圭伍(著)『ひらやすみ』、小学館(ビックコミック)2021年~
ちいさな美術館の学芸員(著)『学芸員しか知らない美術館が楽しくなる話』、産業編集センター、2024年

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