『フランス 26の街の物語』 池上 英洋 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
Chapter 2 芸術の物語 / 洞窟壁画と黒い聖母 — Lascaux & Rocamadour(ラスコーとロカマドゥール)
ラスコーの洞窟壁画
一九四〇年の九月八日、一七歳のマルセル・ラヴィダは、犬との散歩中に大きな洞穴があることを発見した。そして、それから四日後ラヴィダは友人たちと一緒にその洞穴を探検する。これが先史時代のヨーロッパを代表する歴史的発見となった。
彼らが発見したものは、先史時代の動物壁画だった。そして、それはほどなく考古学者により確認され、その年の終わりには歴史的記念物に指定された。しかし、当時は実質的にナチス・ドイツにより支配されている時期であったため、このニュースが世界中に広まるには第二次世界大戦の終わりを待たなければならなかった。
洞窟は、一九四八年から一般公開が始まり一九六〇年には、一〇〇万人を超えた。しかし、人が洞窟に入ることによる壁画の痛みが問題となり一九六三年には、洞窟への立ち入りが禁止される。
そしてその代わりに、複製をつくり公開することになる。まず部分的な複製「ラスコー2」が一九八三年に公開された。初めに洞窟を発見したラヴィダも公開停止前のラスコーとラスコー2で長年ガイドを務めた。その後、再現部分を補うように造られた「ラスコー3」が二〇一二年に公開され、ヨーロッパ各地を巡回し、二〇一六年には東京の国立科学博物館でも展示された。そして、現在は「ラスコー4」が公開されている。ラスコー4は空間のすべてを寸法どおりに再現され、壁画の細かな凹凸や色感まで再現されている。
このラスコーはスペインのアルタミラ洞窟と同じく、長い美術の歴史の中でも最古のものの一つであり、規模も大きく、かつ美術作品としても高い質を誇っている。粗い壁面に焼いた骨や炭の粉、赤土などを水で溶いたものを顔料とし唾液や血液、獣脂、樹液などを固定剤として混ぜ描かれている。指、手のひら、木の枝や毛を束ねたものを絵筆代わりに使った、最初期の水彩画ともいえる。
このラスコーの周囲には他にもクロマニョン人が遺した洞窟が見つかり、レ・ゼイジー= ド・タヤック = シレイユの横穴住居は、動物たちから身を守るために岩壁の高い所に掘られたていた。コンパレル洞窟では、洞窟壁画と共に高度な加工を施した石器が見つかっている。これらは、一万三千年前のクロマニョン人の住居であることが判明している。
これらの洞窟群はひっくるめて「ヴェゼール渓谷の戦史的景観と装飾洞窟群」としてユネスコの世界遺産に登録されている。
ロカマドゥールの黒い聖母
このラスコーのほど近くにロカマドゥールという小さな街がある。ここの切り立った崖にある洞窟は、もともとクロマニョン人の住居であり、青銅器や鉄器などの道具も見つかっている。そして、ローマ軍がやって来たときは、鋭い崖が防御に向いていたため先住民族のガリア人の住居となり、やがて中世にかけて拡充される。そして、聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラへの経由地にもなった。
岩壁にピッタリと教会や城館が貼り付いた様子はそれだけで奇観としての魅力を放っている。(抜粋)
このロカマドゥールは「大きな岩」という意味を持つ語に由来するが、同時にある伝説的人物に結び付いている。一一六六年に礼拝堂から身元不明の人物の遺体を収めた墓が見つかった。その人物は、人里離れた聖所に生きた隠者で、即身成仏のようにそこで亡くなりミイラ化されたとみなされた。そのため「神の恋人」の意味の「アマトール」と名付けられた。今日では「隠者聖アマドール」として街の代名詞になっている。
そして、この街のもう一つの代名詞が、教会にある「黒い聖母」である。この真っ黒な聖母は、蝋燭の煤で黒くなったとも、銀が黒変して黒くなったともいわれるが、最初から黒かった可能性が高い。
古いフランスのガリア人には、古代ケルトの聖職者であるドルイド僧を司る宗教が存在していた。その宗教の中に、黒い石をご神体とする派があった。そしてこの聖母はその名残と考えられている。このような黒い聖母像は、ここだけでなくフランスやイベリア半島の一部に二〇〇体も見つかっている。
先史時代の洞窟壁画と、その洞窟生活から発展した奇岩に住んだ隠者の伝説。そして古きフランスで信仰され、その後消えてしまったかつての宗教の名残を示す黒い聖母。これらもまた、いにしえのフランスへと私たちの想像力を羽ばたかせてくれる。(抜粋)

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