『アメリカ革命』 上村 剛 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第1章 植民地時代 ― 一六〇七~一七六三年 (その1)
今日から本章に入り、アメリカ革命の歴史を追ってゆく。まずは「第1章 植民地時代」である。ここでは、ピューリタンがアメリカ大陸に上陸したことをアメリカの起源とするような、古典的な歴史観の修正から始まる。まず、最新研究による四つの新しい視点の説明がなされた後、植民地時代の歴史が記述される。
植民地時代は、4つに分けまとめることとする。今日のところ“その1”は、最新研究によるアメリカの起源の四つの視点についてである。
「目的論的誤謬」「時代錯誤」とアメリカの起源の最新研究
アメリカの起源として、従来は一六二〇年のピューリタンがアメリカ北東部のニューイングランドに移住したことに求めたが、今日では疑問視されている。
ここで著者は、歴史を描くことの困難の一つは、「私たちがつねにその先に起きたことを知ってしまっている」ことをあげている。それにより、後から見ると同時代に実際に起こったこととはかなり異なったように見える。これは「目的論的誤謬」や「時代錯誤」と呼ばれている。
このようなことを考慮して、最近のアメリカ史家は過度にニューイングランドに上陸したピューリタンを強調するような主張を避けている。
そして、著者は、最新の研究に見えてきた四つの新しい視点をあげている。
① イギリス人が最初の移住者では、なかったこと
一六世紀後半から一七世紀はじめにイギリスから渡ってきた人々が、決して北アメリカの先駆けではなかった。北米~中米に渡ってきたヨーロッパの小帝国として、最も早かったのはスペインとフランスであり、スペインは一五三九年にフロリダに進出し、フランスもフロリダやメキシコに植民地を作った。
スペインとフランスに比べればイギリスは、弱小の新興勢力に過ぎず、そのためまだスペインとフランスの勢力が届いていなかった、チェサピーク湾とニューイングランドを移住先として選んだ。しかし、そこは貧弱な土地、厳しい気候の場所だったため、イギリス系植民者の多くが病気や飢えでなくなった。
英語を話す白人が多数のアメリカ合衆国が形成されたため、英米の話ばかり思い浮かぶが、一六~一七世紀の状況をみてみると、それは一面的にすぎない。(抜粋)
② 先住民についての記述の不足
二つ目は、先住民についての記述の不足である。現在のアメリカとカナダには、概算で二〇〇~一〇〇〇万人の先住民がくらしていたが、ヨーロッパから持ち込まれた伝染病と戦闘により大きく人口が減少した。また彼らは文字を持たなかったため、現代の西洋由来の歴史学では、正確な認識に限界がある。
彼らを西洋人に滅ぼされた可哀そうな人々と描くのは、西洋人から見た一面的な見方である。
そして単に先住民と一括りにされているが、実際には多くの部族にわかれ合従連衡を繰り返し、対立していた。そのため、新参者の西洋人を利用しようと積極的に交易を行い、武器を手に入れ、部族同士の権力政治に勝利しようとするものも多かった。
そのため、ヨーロッパから渡ってきた人たちは、本国同士の対立を反映した争いだけでなく、先住民間の部族対立というパワーポリティックスに巻き込まれた。
③ 奴隷の歴史の無視
アフリカ大陸から南北アメリカに連行され、奴隷にされた人は累計で一二五〇万人(そのうち二五〇万人が船上でなくなっている)であるが、そのほとんどの歴史は二〇世紀まで無視されてきた。言及されるとしても、階級闘争や暴力的な黒人という描かれ方をしていた。
二〇世紀後半から黒人の主体性に着目した研究がなされるようになり、今日ではジェンダー、セクシャリティと奴隷制度や黒人の政治思想史など新たな研究分野が開拓されている。
④ 王党派などの存在
現在では、アメリカ植民地史は、民主主義の発展、自由の獲得などという肯定的なイメージとなっているが、これは、現在のアメリカのイメージを過去に投影したものである。
当時のアメリカには、王党派(王に敬意を払い、独立に反対した人々)など政治的に様々な人々がいた。
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