『餓死した英霊たち』 藤原彰 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第三章 日本軍隊の特質 – 3 兵站部門の軽視
日本軍が、補給を無視した作戦計画を立てたり、給養や衛生を軽視していた背景には、もともと衛生や輜重などの後方部隊の軽視と差別があった。
ここでは、輜重兵科、経理部さらには軍医への軽視と差別を解説している。
陸軍の兵科には、歩、騎、砲、工、輜重があるが、このうち輜重は一段階格下扱いで、一人の大将も出していない。陸軍の出世の条件である陸軍大学校から輜重に行く者は極めて少なく、さらに幼年学校出身者は輜重兵科にいかにという不文律があった。
また、輜重兵科は、兵員の徴集でも特別扱いで、その多くは普通の兵よりも格下の輜重兵で充当されていた。
軍隊の会計、経理さらには衣食住の一切を扱うのが経理部であったが、日本軍では、この経理部も軽視されていた。経理部(さらに軍医)の将校は、指揮権を持てず、式令の際に敬礼を受けることができなかった。このことは兵科将校よりも下位に置かれていることを示している。
陸軍経理学校の候補生採用試験で、秀才を集めたため、幼年学校、陸士、陸大と陸軍のエリートコースを歩んできたものよりも柔軟な思考を持つものも多かった。
しかし、いくら実務能力があっても、経理部将校と兵科将校の間の差別はなくならなかった。(抜粋)
一般兵科に比べて経理部が差別されてその地位が低かったので発言権も小さかった。経理部の発言権が小さいことは、補給や給養についての配慮と関心の少なさを表しているといってもよい。それが参謀の作戦計画の立案にも、司令官の戦闘指揮にも、大きく影響していることはいうまでもない。経理部軽視ないし蔑視が、日本陸軍の大きな欠陥であった。(抜粋)
日本軍のこのような差別は、軍医に対しても行われていた。そのため、軍医官のなかにその地位向上の要求が生まれた。
その先頭に立ったのが石井式濾水機を発明した石井四郎である。この濾水機はコレラなどの発生時に効果を上げる。元々給食、給水は経理の仕事であったが、軍医部で発明した濾水機を使用するという名目で「防疫給水」を軍医部の所管とすることに成功した。
彼は、防疫のための細菌研究をさらにすすめ、攻撃兵器として細菌を利用する事を提案した。そして、その細菌研究の機関として「関東防疫給水部」(通称七三一部隊)を創設し、膨大な予算を要する細菌研究部隊を作った。
軍医部の権益拡大、地位向上の要求が行くつくところ、細菌研究を重視することになり、その手段の一つとして非人道的な人体実験をくりかえし、稀有の戦争犯罪となった七三一部隊を生み出したともいえる。(抜粋)
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