新型コロナ対策はなぜ失敗したのか(その1)
湊 一樹『「モディ化」するインド』より

Reading Journal 2nd

『「モディ化」するインド』湊 一樹 著
[Reading Journal 2nd):読書日誌]

第5章 新型コロナ対策はなぜ失敗したのか(その1)

今日から第5章「新型コロナ対策はなぜ失敗したのか」に入る。ここでは、二〇一九年から始まった新型コロナ感染症(COVID-19)に対するインド政府の対応とその失敗について説明されている。第5章は、3つに分け”その1“で新型コロナの初期対応と突然の全土封鎖に至る経過ついて、”その2“でその全土封鎖による深刻な打撃について、最後に”その3“で第二波影響と、新型コロナへの政府の対応から透けて見える統治の歪みについてまとめる。それでは読み始めよう。

突然の「世界最大のロックダウン」

ビザの効力停止と外交への影響

二〇一九年一二月、中国の武漢から始まった新型コロナウィルス感染症が、初めてインドに確認されたのは、二〇二〇年一月三〇日のことであった。そしてその後一か月の間に最初の感染を含めて三名の感染が確認された。

そして、その間にインドは、段階的に水際対策を強化し三月一二日にすべての外国籍保有者のビザの効力を一時的に停止した。この措置は、インドの外交関係に影響を及ぼし、インド国内に自らの存在感をアピールするために首脳外交を活用していたモディ首相にマイナスになった。

全土封鎖と感染の経過

しかし、内政面での影響の方がはるかに大きかった。

インドでの新型コロナウィルスの感染者は三月三日には五人だったが、その後しだいに急増していった。当初、インド政府は当初「これは非常事態ではない」としていたが、突如として全土インドを対象としたロックダウンを強行した。

三月二四日の午後、八時にモディ首相がテレビ演説をし、翌二五日より三週間にわたってインド全土を封鎖すると突然発表した。このテレビ演説では、封鎖措置や経済対策の内容について具体的な説明はなかったが、実際には、他の国々の措置に比べて非常に厳しい内容であり、日常生活や経済活動に大きな制約が課された。

そしてその後、三週間という当初の実施期間は五度にわたり延期され、結局六月末まで続いた。しかし、厳しい封鎖措置を三カ月続けたにもかかわらず、感染拡大の第一波に歯止めをかけられなかった

インド政府は全土封鎖を延長する一方で、感染が急増する中で封鎖措置に伴う制限を少しずつ緩めた。その結果、全土封鎖が段階的に緩和されていくのと並行して、州・都市など地方単位のロックダウンが頻発する事態となった。

全土封鎖のための混乱

この感染第一波でインドがこれほどの苦境に立たされたことについて著者は、つぎのように指摘している。

不十分な保健医療体制、経済的に脆弱な貧困層の多さ、セールティーネットの欠如など、多くの途上国に共通する構造的問題が影響したことは間違いない。しかし、新型コロナウィルスの感染拡大とそれに伴う経済的打撃という二重苦がインドに重くのしかかることになったのは、それだけが原因ではない。むしろため、明確な方針の欠如、政策を実行する前の準備や調整の不足、計画性のない場当たり的対応、責任を回避しようとする姿勢など、政府の対応のまずさが事態の悪化に拍車を掛けたというべきだろう。全土封鎖の実態をめぐってつぎつぎと問題が噴出したのは、それの何よりの証拠である。(抜粋)

政府は突然全土封鎖を発令したが、その方針と内容が誤解を招き、方針そのものも二転三転して混乱を招いた。それに加えて、中央政府と州政府の政治的対立により、足並みが乱れた。特にインド人民党(BJP)以外の政党が政権を握る州からの反発は根強かった。

全土封鎖により各州の財政は危機的状況となり、中央政府との地方の軋轢を生みさらに感染対策での協力を阻む要因となった。

著者は、このような対立が生じたのはむしろ当然と結果としている。なぜならば、このような大掛かりな政策が、周到な計画も準備もないままトップダウンで強行されたからである。

突然の発表や実施後の混乱ぶりに加えて、極端なまでの秘密主義と事前調整の欠如という点でも、全土封鎖と高額紙幣の廃止措置とのあいだには明らかに類似性がある。そして、モディ政権は自ら招いた苦境を組織的なプロパガンダによって乗り切ろうとした点でも、両者は共通している。(抜粋)

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