『ファンタジーに秘められた宗教』 中村 圭志 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第⑥回 『火の鳥』『風の谷のナウシカ』 現代日本の死生観(その3)
今日のところは、「第⑥回 『火の鳥』『風の谷のナウシカ』 現代日本の死生観」の”その3“である。第⑥回は、”その1“で手塚治虫の『火の鳥』、”その2“で宮崎駿の『風の谷のナウシカ』が取り上げられた。そして、今日のところ”その3“では、新海誠の『すずめの戸締まり』を取り上げ「死生観」という観点で論じられている。それでは、読み始めよう。
新海誠の初期作品と『君の名は。』
比較的若い世代の新海誠は、SF的、民俗宗教的でもあるようなモチーフを駆使し『死生観』の問題を描いている。初期作品から少年少女を引き裂いて空間的な距離をテーマにしていた。その距離のテーマを死別のテーマに発展させたのが『君の名は。』である。
『君の名は。』では、身体が入れ替わると同時に、三年の時間差があり、これにより、一方が隕石により死んだという事実が賭突に訪れ死別という不条理を印象的に描いた。この隕石は東日本大震災の隠喩なっているが、この震災をテーマに据えて、不条理な死の問題を問うたのが『すずめの戸締まり』である。
新海誠:『すずめの戸締まり』
『すずめの戸締まり』の世界では、日常世界とは別に「常世」と呼ばれる死者の世界があり、そこは、また地下の地震エネルギーの形態であるミミズと呼ばれる怪異がうごめく空間でもある。
日常の暮らしの人々の心の力が弱まると、常世のミミズの力が頭をもたげる。そして廃墟にある後ろ戸(常世の出入り口)から噴出しようとする。この後ろ戸を閉じて、鍵をかけ、地震を防ぐのが、一種の霊能者である閉じ師である。著者はこの閉じ師の仕事は、日常の重視と地道なケアというところが、ナウシカのメッセージと繋がるとしている。
ミミズの動きを封印するのが東西二つにある要石である。この要石は、物語のはじめではどちらも抜けてしまい、白猫と黒猫の姿をした神として現れる。
物語は、女子高生の鈴芽と大学生で閉じ師の草太が逃げ出した白猫を後ろ戸を閉めながら追ってゆく。そして草太が東京で白猫により要石にされ、鈴芽がそれをミミズに刺すことで大地震を封じる。鈴芽は草太を人間に戻すために東日本大震災で消失した実家の跡地を訪れ、そこにあった後ろ戸から猫の神々と共に常世に入っていく。
物語のピークは鈴芽が常世に迷い込んでいる幼少期の自分を見つけるところです。(抜粋)
幼い鈴芽は母親を探し回る中で白い服の情勢に出会ったが、それは未来の自分だった。未来の自分の役割は、過去の自分の悲痛な心を慰めることである。
この慰めには説明が必要です。鈴芽自身は意識にのぼらせずにいましたが、彼女は幼いころの喪失体験に由来する絶望感を抱き続けていたのです。それが、死を恐れずに草太とともに行動することにつながっています。しかし、その絶望の為ばかりではなく草太への愛のためでもあります。今の自分は虚無の中にも希望を抱いている。そのような自分に変わることができたという事実が、過去の幼い自分に慰めを与えたのだと思われます。(抜粋)
新海アニメのスピリチュアルティ
新海誠の作品『君の名は。』も『すずめの戸締まり』も時間の魔法を描く物語である。「あの世」の形象は「この世」に生きる者たちの心の鏡となっている。
これらの作品では、災害を容易に忘却できない気持ちに寄り添い、それをファンタジーに昇華している。災害は、あまりに大きな苦痛であるため、その証言を集め続ける聖職者やカウンセラー、学者などの仕事はとても貴重である。
そして、そのような記憶は、古来、神話や伝説という物語の中で集団的記憶として伝えられてきた。
新海アニメはこの機能を受け継ごうとしています。隠喩に富む神話 = ファンタジーの手法だからこそ、人々の心を掴み、そのうえで大事なメッセージを伝えることができるのです。(抜粋)
これらの作品では、瀧や鈴芽の恋愛という個人的な物語を、隕石災害や地震災害という共同体の物語に重ねられているが、これは、ミクロポリス(小宇宙、自己)とマクロポリス(大宇宙、世界)を対応させる密教などの世界観を踏まえたものである。
ここで著者は、新海アニメでは、いくら共同体のためであっても主人公が過剰な自己犠牲を払わないことに特徴があると指摘している。本来、人が犠牲を払うのは、共同体の中に愛する者たちの二人称的な姿があるからである。
死をテーマとするファンタジーが情に走りすぎず、論理的な枠を備えているところに、新海作品のスピリチュアルティの特徴が現れているように、私には思われます。(抜粋)
他のクリエータが問う生と死の意味
ここで取り上げた、手塚治虫、宮崎駿、新海誠いがいにも、様々なクリエータが死の危機や理不尽な状況のなかで死の意味を問おうとしている。ここで著者はいくつかの例を挙げている。
- 庵野秀明:『新世紀エヴァンゲリオン』でSF的な設定で思春期の苦悩を描いた。
- 細野守:『果てしないスカーレット』は、『ハムレット』を下敷きにした復讐劇であるが、主人公の王女が地獄のような「死と生のはざまの世界」の中で現代の看護師に出合い、怨みの連鎖を断ち世話に資する道を選ぶ。
- 藤本タツキ:『ルックバック』:親友の死に直面し、もう一つの世界を夢想ともSF的ない世界を「見る」という、死生観を揺さぶる作品である。
ファンタジーが見つめる生と死
最後に本章のまとめが書かれている。
日本では、テーマを大づかみに示した手塚治虫からはじまり、宮崎が、それを日常性へと敷衍し、さらに次の世代が死生観として現代化する流れがあった。この流れはある程度、神の救済史としての『ナルニア国物語』から、既存の宗教を覆そうとする『ゲド戦記』、さらに日常に潜む不条理に焦点を置く『ハリー・ポッター』へ向かった流れと重なる。英米と日本のファンタジーが想像力や時代性を共有しているということである。
しかし、宗教的環境は西洋と日本とでは違い、西洋では組織化された宗教との批判的対話が重要である。そのためファンタジー作品も比較的理屈っぽいものとなっている。しかし、日本では、仏教、儒教、道教、神道、各種の民間信仰、さらに西洋由来の思想が、混じり合い多元的なものとなっている。そのためファンタジーに秘められた宗教的テーマは、教理論争的なものでなく、日々の生活の中の聖性を重視するものとなっている。
宗教は死を最大のテーマとし、来世を語るが、時間をかけて人生に納得していくプロセス抜きで、来世の観念だけが意味を成すわけではない。
こうした自己探求の過程は、近代では文学やファンタジーの形でも遂行されるようになりました。(抜粋)
日本では、死生観をテーマとした文芸が多くあり、それを現代では漫画やアニメーションもその役割を担っている。これは宗教のおける最重要問題であることを考えれば必然的である。
このような視点で、ファンタジーと呼べる漫画やアニメーションを、さらに小説、舞台、映画、詩を、味わい直してみるのはいかがでしょうか。それらの作品をより深く味わえると同時に、宗教的伝統の織りなしてきた思想のポイントが見えてくるものと、私は確信しています。(抜粋)
関連図書:新海誠 (著)『小説 すずめの戸締まり』、KADOKAWA、角川文庫、2022年
[完了] 全15回


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